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現代史についての雑文その16 ドイツと日本2
続いてのドイツ・フォーマットは「民衆と戦勝国を免責し敗戦国の統治階級を断罪するプロパガンダと言論統制を実施する」というものです。ドイツにおいて戦勝国がこれを実施した理由は、ドイツ統治を円滑化するために全ての罪をナチスに被せて一般ドイツ人を免責して戦勝国の味方にするためであったのですが、これをやるためには大前提として「民主主義が機能していない状態であった」ということを強調する必要がありました。民主主義が機能しているのなら政府の行為には国民も責任を負うことになり、一般ドイツ人を免責することが出来なくなるからです。
これを日本にもあてはめようということなのですが、ドイツや日本において実際に民主主義が機能していたかどうかについて考えるには、そもそもの民主主義の定義や、ドイツや日本の伝統的社会の特徴なども考え合わしていかねばならず、まともにそんなことを考察すればとても話が長くなってしまいますので、そういうことは省略します。

結論的には、ドイツも日本も細かな政治体制に独特の特徴はあって、非民主的な部分はもちろん存在はしましたが、基本的には民主主義から生まれた政体で第二次大戦を戦いました。むしろ、ドイツは第一次大戦後にあまりに急進的な民主主義政体が生まれたため、また日本は明治維新以降、あまりに民主化を急いだために、それぞれ民主主義の自家中毒のようなものを起こした結果、少しおかしくなってしまったのでした。
まぁとにかく近代国民国家というシステムの上で総力戦体制をとっていた以上、国民がその政治に対して無責任であり得るなどということはないのです。政府が多少おかしいくらいで、政府だけが暴走してこのような世界大戦が起きるということはありません。要するに、ドイツや日本が民主的であったかどうかなどは本質的な問題ではなく、近代国民国家に起こした戦争において政体が多少民主的でなかったという問題でもって国民を免罪することなど出来ないのです。
それでもなお国民を無理に免罪しようとするならば、それはもう非合理的な論理構成とならざるを得ません。事実関係からは目を背けて、ひたすら印象操作でもって戦時中のドイツや日本の近代国民国家ならざるモンスターのようなイメージを刷り込んでいくという手法、まぁ一種の洗脳を行うしかないでしょう。

その洗脳ですが、ドイツの場合はヒトラーに悪魔と契約した黒魔術の魔術師のようなイメージを持たせて、ナチスはヒトラーという教祖に服従するオカルト新興宗教の秘密結社であるかのように印象操作されました。まぁ実際、ナチスには秘密結社的な側面はあり、ゲルマン北方神話に傾倒した独特の国家崇拝、民族崇拝の思想が色濃くありましたし、ヒトラーはカリスマ的魅力に満ちた活動家ではあり、悪魔云々は酷い誇張であるとしても、こうしたイメージが生まれる下地はありました。
しかしそれでも、そのナチスが台頭して国家権力を握るまでの過程においては民主的な政治システムの中で国民の広範な支持があったのは確かなのですが、それを隠すために、ヒトラーが黒魔術か催眠術を使ってドイツ国民の精神をコントロールして、表面上は民主的手続きを経たように見せかけて権力を簒奪したというストーリーが流布されました。これならばドイツ国民は自由意思を奪われていたわけですから罪は無いというわけです。
ただ、これだけではいくらなんでもリアリティに欠けていたので、この精神コントロール説にもう少し現実に起きた出来事を加えて補強したストーリーがつくられました。こちらのほうが現在一般的に認識されているストーリーでしょう。それは、「大恐慌によって経済が破綻したドイツ国民の不安が増大してヒステリー状態になったところに付け込んだ人心操作の魔力的な達人であるヒトラーの扇動に乗せられて大多数のドイツ国民が催眠術にかかったようにヒトラーに操られてナチスに政権を与えてヒトラーに国家の全権を授けてナチス独裁体制を許してしまった」というストーリーでした。そうして「ヒトラーは独裁権力を握ると途端にその本性を剥き出しにして情報操作で国民を騙して戦争への道を突き進み、異議を唱える者には暴力テロを仕掛けて弾圧し、悪政の限りを尽くして国民を暴力の脅迫によって奴隷化して使役した」というふうにストーリーは続きます。
つまりヒトラーに魔術師的な特殊能力があった、一種の魔人であったという大嘘の前提は必須としつつも、大恐慌によってドイツ国民の不安心理が高まっていたことや、ナチスの主張にドイツ国民が共感してヒトラーに独裁権力を与えたことや、ナチスが反対派を暴力で弾圧したり情報操作を常に行っていたこと、ナチス政権が悪政といえる政策を行っていたことなどは確かに事実であり、これらの事実をヒトラーによる精神操作とドイツ国民が正気ではなかったという要素を中心に据えて新たに歴史的事実のように偽装して組み立て直したストーリーでした。このストーリーならば、ドイツ国民はヒトラーに騙されたか、あるいは脅されていた、あるいはとにかく正気でなかったということになり、自分の意思で行動していたわけではないので、責任能力は無し、つまり罪は無いということになるのです。
このようなストーリーこそが実際は戦勝国が騙したり脅したりしてドイツ国民に強制した大嘘のプロパガンダだったのですが、ナチスやヒトラーにはこのような魔術的イメージで見られるだけの下地が確かにあり、それに大戦末期にはヒトラーやナチスはドイツ国民にかなり嫌われていたので、この戦勝国のプロパガンダはすんなり受け入れられました。ドイツ国民にしてみても、このプロパガンダを受け入れれば自分達が免責されることは分かるわけで、もともと(終戦時点では)ナチスは嫌いであったので義理立てする意味も無く、なんといってもヒトラーはもう死んでおりナチスも壊滅してしまったわけで、死人に口無しで、都合の悪いことは全部ナチスのせいにしてしまえばいいという計算も働いたと思われます。
そういうわけでナチスによってドイツ国民は騙されていたということになり、とにかくナチスほど悪い連中はいなかったということになり、悪いことは全部ナチスの責任にされました。戦争だって全部ナチスの悪巧みで始まったのであり、戦勝国は何も責任は無いということになりました。全て悪いのはナチスで、戦勝国とドイツ国民は共にナチスの被害者であり仲間だというわけです。こんな阿呆らしい与太話もないのですが、とにかくこの与太話を信じるフリさえしていれば、既に滅んでしまったナチス以外の生きている人達は戦勝国も敗戦国も関係なくみんなとりあえずハッピーになれるのです。だからこの戦勝国によるプロパガンダはドイツにおいてはすんなり成功しました。

さて問題は、日本にこのドイツのやり方をそのまま適用しようとした場合です。日本とドイツは状況が違うので、こうしたドイツのイメージを安易に投影するのは間違いなくトラブルのもとになるのですが、戦勝国の人間、まぁこの場合アメリカ人ですが、彼らは日本のことなどよく知らないのでドイツのやり方でそのままやればいいだろうと思ってしまったのでした。そういえばつい最近も日本のイメージを勝手にイラクにあてはめて大失敗していたようで、知識云々ではなく、そういう類の思慮深さとは無縁の国民性なのかもしれません。
日本にこのフォーマットを適用して日本国民を免責しようとするならば、ドイツの場合と同様、日本が近代国民国家とはかけ離れた国家であったというイメージを構築しなければなりません。ドイツの場合、かつてはヨーロッパの先進国であり、第一次大戦後は世界で最も進んだ民主主義国家であったということは、西洋諸国では周知の事実であったので、その歴史を否定することは難しく、それゆえそれらを全て台無しにしてしまうパワーを持った魔人ヒトラーという人物が急に出現してきたというストーリーをでっち上げる必要性が生じたのですが、日本の場合、大戦の前に急に支配層が変更されるようなことがあったわけでもなく、その支配層の中にヒトラーのような魔人的なイメージを持った人物が存在したわけでもなく、ドイツと全く同じストーリーを組み立てるには無理がありました。
しかし一方、日本において既に立憲君主制のもとに普通選挙が実施され政党政治が定着し議院内閣制が機能するまでに民主主義が定着していたということは西洋諸国ではほとんど知られていなかったので、日本の場合は、「そもそも日本はずっと近代国民国家の段階にも達していない専制国家で国民は奴隷状態であった」というストーリーで事足りました。これならば、ヒトラー的な魔人が登場する必要は無いので好都合でした。
このストーリーならば確かに日本国民は免責されるのですが、問題点が山ほどありました。まず、これは日本人から見てあまりにも歴史的事実とかけ離れているという点、そしてこの場合は悪いのは日本政府ということになるのですが、その日本政府がナチスのように滅びておらず健在であるという点、その日本政府と日本国民の間にナチスの場合と違って信頼関係が存在しているという点、その裏返しとして日本国民の戦勝国に対する不信感や嫌悪感はドイツの場合よりも激しかったという点など、このストーリーでプロパガンダを行うのは困難な状況でした。
特に日本政府に関しては、米軍にしてみれば間接統治の大事なパートナーでもあるわけですから、ナチスのように「死人に口無し」とばかりに全否定するわけにもいかず、また日本政府と日本国民の間の信頼関係が全く無くなってしまっても間接統治が困難になるわけですから、それをあまり過激に煽るわけにもいきませんでした。
といっても、何か悪役を作って国民の憎悪を向けさせるようにしなければ戦勝国と日本国民との間の対立関係は解消されません。そこで、既に消滅することが決まっている日本軍にナチスの役回りを押し付けて悪役として罪を背負わせることにしたのでした。これならば「死人に口無し」で好き放題な悪口を言えるわけです。それに軍部の上層部は確かに威張っていたので国民にあまり好かれていませんでしたし、敗戦の責任は軍部にあるという憤りも国民の間にはありましたから、国民としても軍部を悪者とする話ならばいくらか乗りやすかったともいえます。

その場合、どういうストーリーになるかというと、「軍部が暴力と脅迫と詐欺的手法でもって日本政府を乗っ取ってしまい、政府を操り、国民を奴隷化し、悪政の限りを尽くして周辺国を侵略して戦争を始めた」という感じになります。しかし、軍人といえども公務員であり、政府の一員であるはずです。結局は政府と一体であるという解釈となってしまいます。しかしそれでは困るので、政府と軍部は全く別個の組織であるかのような印象操作がなされました。それが「軍閥」という呼称でした。
「軍閥」というのはもともとシナの言葉で、シナにおける軍閥というのは地方における独立軍事政権のようなもので、中央政府から独立して自己完結した統治体系を備えた、いわば戦国大名のようなものです。中央政府がしっかりしていない当時のシナにはこういう勢力がたくさん存在したのです。当時の日本は中央集権国家で軍人は単なる公務員でしたから軍閥というようなものではありませんでしたが、日本政府と日本軍を別個の対立する組織のように描く必要のあった占領軍当局によって日本軍は「軍閥」と呼ばれるようになりました。占領軍(米軍)はシナ情勢には詳しかったので、アジアの軍隊といえば「軍閥」的なイメージが強かったので、そのように考えることに違和感が無かったのだとも思われます。
つまり日本にはもともと日本政府とは別に「軍閥」という悪い集団が存在し、この軍閥が暴力で日本政府を乗っ取って、悪政の限りを尽くして国民を奴隷化して侵略戦争を引き起こした諸悪の根源であるということになるのです。もともと戦勝国は日本を非武装化するつもりでいましたが、このように軍隊というものに極端にマイナスイメージを持たせるプロパガンダをすることになって、日本の場合は国民の中に極度の軍隊への不信感が植え付けられることになり、それは米軍の思惑をも超えて戦後日本の支配的空気となっていくことになるのでした。
そしてこの軍閥の悪辣さを強調するに際して、戦勝国はナチスのイメージを投影していくことになります。当時なんといっても悪いやつといえばナチスであったので、ナチスのイメージを投影すれば悪のレッテルを貼るのが最も簡単だったからです。少なくとも占領軍はそう考えました。

まずナチスといえばオカルティックな民族主義思想が特徴ですが、日本においては国家神道がこのイメージを投影されて悪者とされました。国家神道は伝統的な日本の神道が近代文明に適応して変化したもので、国土創生の神(皇祖神=伊勢神宮に祀られている天照大神)の子孫たる言わば大神官的地位にある天皇のもとに国民が一致団結していこうという趣旨の思想で、幕末の尊皇思想の系譜を継ぐものです。こうして天皇が大神官でありながら国家元首でもあるというような神政国家体制という形式の下に議会制民主主義の制度を発達させて国民国家を作り上げていった、まぁ立憲君主制国家が近代日本であったのですが、この国家神道が大恐慌以降の中央集権体制の強化路線の中で天皇と皇祖神を同一視するようになり、国民統合の求心力となることが多くなっていました。
こうした幕末から昭和初期までのやや急進的な流れはやむをえない部分もありました。何せ日本人というのは元来はかなり自分勝手な連中で独立心が強く権力というものが嫌いなので、なかなか列島内が1つにまとまるということが無く、これを1つにまとめて国民国家を作るには伝統的に日本人が崇拝している宗教的権威でも持ち出すしかなかったのであり、その中央集権の度合をさらに高めるためにはその権威の神性を強調していく方向というのも確かに安易ではありましたが、ついついやってしまったのでしょう。そのためにやや窮屈な世になってはいましたが、この思想自体が特に危険であるということはなかったのですが。
しかし、これが占領軍の軍閥悪玉プロパガンダの中でイメージを肥大化されて使われることになり、神である天皇が全世界を支配すべきだという狂気じみた国家神道の熱狂的信奉者が軍閥の指導者を占め、彼らがその狂信を現実化すべく引き起こした戦争が大東亜戦争であったというストーリーが組み立てられたのでした。こうした大嘘のプロパガンダによって神道は危険思想扱いされるようになってしまったのでした。

実際、米軍が神道を危険思想扱いし、狂気の思想であると誤解したのは、神風特攻隊などをはじめとする日本軍の信じがたいほどの激しい抵抗の源に神道があると感じたからでした。実際は彼ら日本兵士の中にあったのはごく当たり前の愛国心であったのであり、米軍が狂気と感じた戦い方も日本の戦の伝統の中ではそれほど違和感のあるものではなく、単なる戦争文化の違いでしかなかったので、日本兵が狂っていたという認識自体が誤解なのですが、何せ他国の文化を理解することが極度に苦手なアメリカ人なので、すっかり日本人は何か狂気の思想に取りつかれていると思い込んでしまい、当時の日本人の愛国心は学校教育などで育まれた国家神道と一体化していたので、米軍はこの国家神道こそが狂気の源泉だと誤解してしまったようです。
まぁ実際、キリスト教徒の彼らから見れば「人が死ねば神になる」などという日本の神道の思想は狂気の思想に見えたことでしょう。それで、この国家神道という邪教を消滅させてしまえば日本人は死を恐れるようになり米軍に復讐戦を仕掛けてこなくなるのではないかと米軍は考えるようになり、軍閥勢力と国家神道を一体化したものとして攻撃対象とすることにしたのでした。
こうした勘違いのもとで靖国神社を焼き払ってしまおうとしたり、米軍はトンチンカンなことを企てたりするのですが、そもそも彼らの無知からきていたことであったのであり、さほど騒ぐほどのことでもありません。また戦前期の急進化した国家神道自体が伝統的な日本の神道からやや逸脱したものであったので、さほどそれを崇める必要もありません。ただ、このように米軍が日本でドイツ・フォーマットを無理に適用したために、戦後日本で神道という日本文化の中核にある思想がおかしな偏見の目で見られるようになってしまうことになったのでした。

特にその神道の中でも天皇を神と見なす国家神道こそ最大の危険思想であると米軍は考えました。彼らにとって神とは絶対的なもので唯一のものです。それが敵国の君主と同一視されているなど耐えられないおぞましい思想だったのでしょう。そうした絶対的嫌悪感で国家神道は悪とされて排斥されたのですが、これは誤解で、日本においては神というのは祖霊とほぼ同義で、あまねく偏在するものです。天皇と同一視される神というのは皇室の祖先神であり、別に絶対神ではありません。神という言葉の意味が違うのですから、そもそも話が噛み合っていないのです。
まぁ天皇と皇祖神を同一視する思想自体が神道の中でも特殊であり、それが国政の場にも影響を与えることが多くなっていた戦時中の風潮が健全な状態とも思えないので、国家神道が政治の場から排斥されたこと自体はまぁ良いことだとは思います。「国家(=天皇)」と「神道(=神)」を一体化したものと見なすゆえ「国家神道」というわけで、まぁこれが日本の伝統的な姿でもあるのですが、近代においては国家というものが危険な凶器ともなり得るのですから国家と宗教があまり一体化しすぎるのは危険です。昭和初期の日本の失敗は国家が宗教に引っ掻き回されたことにも一因があります。
ところが米軍は軍閥政府という国家側を悪とする前提に立っていますから、国家のほうが宗教を悪用しようとしたというイメージを持ちました。実際は逆だったのですが、そうしたイメージを絶対的なものとしてしまったので、国家が宗教、特に神道に関与することは絶対的なタブーとされるようになり、その風潮が現在まで引きずられて、今でも靖国参拝問題や、トンチンカンな玉串訴訟などが起こされたりするのです。
まぁ靖国問題は非武装の問題との関係のほうが深いのですが、これはまた別で考察することになるでしょう。とにかく、この国家が宗教に関与してはいけないという変なタブー意識のお陰で公立学校で宗教に関する教育すら出来ず、自然に宗教は非公式な存在、タブーとなり、宗教が衰退する原因となってしまっているのです。

また、ナチスといえばその最も悪辣なイメージとして人種差別政策を推進したというものがあります。これはガス室でユダヤ人を600万人殺したなどという与太話はともかくとして、基本的には全くの事実で、特にユダヤ人は奴隷階級に落とされて悲惨な目にあいました。
日本軍閥をナチスに匹敵する悪の集団としてイメージづけたい米軍としては、日本軍閥政府もナチスのような人種差別政策をやっていてくれたら有難かったのでしょうけど、残念ながら日本政府はそうした人種差別政策は行っていませんでした。というより、人種差別をいつまでもやめない西洋白人国家(もちろんアメリカも含む)に対していつも人種差別をやめるように主張し続けていたのが日本政府でした。同盟国ナチスドイツのユダヤ人差別政策にも反対の立場を貫き、ユダヤ人の亡命を積極的に受け入れていました。
しかしアメリカとしてはこれは面白くないわけです。ナチスの人種差別を非難する立場のはずのアメリカが実は人種差別国家で、ナチスの同盟者である日本軍閥勢力がアメリカを非難していたなど、許されることではありませんでした。非難されるべきはアメリカではなく日本軍閥でなければいけないのです。人種差別をしていたのはアメリカではなく日本軍閥のほうでなければならないのです。実際には日本軍閥は人種差別をしていたに違いないのであり、していなかったとしても、していたということにしてしまえばよいのです。こうした歪んだ心情に支配されたのでしょう、米軍は日本政府がナチスのように人種差別政策を推進していたという証拠を執拗に探すようになり、それが見つからないと分かると、出鱈目話をでっち上げようとしたのでした。
しかし、そもそも人種差別をしようにも、元来日本には日本人しか住んでいなかったので、ドイツにおけるユダヤ人のような異邦人を探すのが難しく、人種差別自体がなかなか成立しませんでした。そうなると選択肢は限られてくるわけで、米軍は朝鮮人に目をつけるしかありませんでした。
1910年に日韓が合邦して以降、朝鮮半島も日本の一部になりましたから日本には日本人と朝鮮人が住んでいるという形になりました。また、朝鮮人はよく日本列島方面にも出稼ぎに来ていたので、一部では日本人とも雑居するようになっていました。そうなると日本人と朝鮮人の間でトラブルなども起きるようになってきました。台湾人も同様に日本の領土内に住んでいましたが、台湾人は数も少なく日本列島方面にそんなに来ていませんでしたし、(日本による統治初期を除いて)日本人とトラブルもあまり起こしませんでした。
どうして朝鮮人と日本人の間のほうがトラブルが多かったのかというと、文化的摩擦が多かったということなのでしょう。まぁ要するに長年かけて育んだ文化があんまり相性が良くないのでしょう。こういうのは仕方ない話で、確かに戦前から日本人の中には朝鮮人を嫌う人は一定数いたし、朝鮮人の中にも日本人を嫌う人は同数程度いたことでしょう。しかしこれらは所詮は個人的トラブルで、人種差別や民族差別というほどのこともなく、全体としては大きな衝突も無く良好な関係にあったといえます。

しかしアメリカはこの日本人と朝鮮人の些細なトラブルを何十倍にもイメージを膨れ上がらせて、「朝鮮人が日本軍閥政府によって奴隷的境遇に置かれて苦しんでいる」という話にしてしまいました。これはアメリカの亡命していた独立運動家の李承晩らの主張が反映されているともいえます。独立運動家といっても旧朝鮮王朝期の既得権層の系譜を引く者がテロリスト化したものや共産主義者の山賊のような者ばかりでしたが、李はキリスト教徒で、アメリカ人というのはキリスト教徒ならシナ人でも朝鮮人でも友人と思ってしまうので、彼を信頼したのでしょう。しかしやはりそれだけではなく、日本政府がナチスの同盟者らしく人種差別政策を行っているということにしたかったのでしょう。こうした見解はカイロ宣言の頃から公式に出てくるようになります。カイロ宣言では「朝鮮が奴隷的扱いを受けているので日本から独立させる」という方針が表明されています。
そして終戦となり米軍は日本に乗り込んでくると、ナチス政権下におけるユダヤ人の役回りを朝鮮人に演じさせようとします。「日本政府による酷い差別政策から米軍によって解放された可哀そうな人達」というわけです。可哀そうな人達なのですから優遇してあげないといけませんし、もう日本人によって朝鮮人が奴隷化されないように米軍が守ってあげないといけないのです。つまり日本人よりも朝鮮人(ついでに台湾人も)を優遇する方針を打ち出したのでした。そして日本軍閥政府がいかに残酷に朝鮮人を差別してきたかをしつこくプロパガンダで流して、軍閥政府の悪辣さを訴えました。
しかし実際は差別政策など存在していなかったのですから日本人から見ればこんなものは不公正なえこひいきでしかありませんでした。朝鮮人のほうでも戦勝国であるアメリカが後ろ楯についてくれたということで調子に乗って、戦勝国民と自称して無法なことをやり出す輩も出てきて、米軍はこれを取り締まろうとしなかったので日本政府も遠慮して朝鮮人の無法行為は野放しになり、ますます日本人の反感は大きくなり、米軍や政府にはなかなか逆らえないので、朝鮮人への嫌悪感情ばかりが膨れ上がっていくことになりました。これによって、むしろ戦後になってから在日朝鮮人差別が激しくなっていったのです。
また、このような状況になったことで米軍も余計に朝鮮人を守らねばならなくなり、ますます、いかに日本が朝鮮人に酷いことをしてきたのかということを強調してプロパガンダしていくようになり、これが戦後の言論界や教育界、マスコミなどの絶対的方針となってしまうことになるのです。こういう馬鹿げた騒ぎが無ければもっと日本において日本人と朝鮮人は仲良く暮らしていたと思うのですが、これも全て、米軍がナチスと日本を無理に同列に扱おうとして、ユダヤ人と朝鮮人を同一視するという愚を犯した結果なのです。

また、ナチスといえば極端に酷い言論弾圧がその悪辣さの代表的な特徴の1つです。それは罪刑法定主義を逸脱したナチス刑法による弾圧で、少しでも反ナチス的発言をしたり、反ナチス的思想を持っていると疑われるだけでも官憲側の恣意的な解釈によって逮捕され有罪とされるという全体主義国家特有の恐るべきもので、このナチス刑法によって実に多くの人が死刑となったり強制収容所へ送られたりしました。
これでは怖くてナチスに反抗的な態度などなかなか見せられません。密告も奨励されていましたから仲間と集まったり連絡をとることも出来ず、反ナチス活動家も活動を著しく制限されることとなりました。これは確かにかなり悪辣なもので、占領期において米軍は日本軍閥もナチス同様、このナチス刑法のような酷い言論弾圧を行って国民を抑圧していたとプロパガンダしました。それによって軍閥の悪辣さをアピールしようとしたのです。

確かに戦時中、日本政府や軍部は情報統制を行いました。そもそも日本のマスコミというのは明治期から大正期にかけてはかなり種々雑多でバラエティに富んでおり、それぞれが好き勝手なことを書いていました。しかし大恐慌後、中央集権体制を強化してあらゆるものを中央政府によって統制していくことで効率を高めていこうという傾向が強くなると、マスコミも国策によって合併させられて中央政府のある東京にある数社にまとめられ、政府による統制下に入るようになりました。
こうして政府はマスコミを操って政府に都合の良い情報しか国民に伝わらないようにしました。何か記者が自分の独自の考えで政府批判の原稿を書いても、政府が新聞社の上層部に圧力をかけて記事を不掲載にしたり、不都合な文言を伏せ字にしたりしました。これは確かに記者にとっては言論の弾圧です。
また戦争が始まると検閲が常態化し、マスコミはなかなか自由に記事を書けなくなり、軍部や政府の発表をほぼそのまま記事化したり、政府と相談して記事を書いたりするようになりましたが、軍部の発表そのものが出鱈目ばかりだったり(特に海軍は酷かった)したので、国民には真実がちゃんと伝わらなくなりました。戦争が始まって軍部が幅をきかせるようになると立会演説会なども憲兵などによって中止させられたり、明らかに言論弾圧といえる事例も見られるようになりました。
しかしこれらは刑罰を科せられるような言論弾圧ではなく、行政権の濫用に相当するものでした。政府批判の記事を書いた記者が逮捕されるわけでもありませんし、軍部批判の演説をしたからといって罪に問われるわけではありません。単に記事が差し止めになったり演説の妨害をされるだけです。ましてや、一般人は何を言ったり書いたりしても基本的にお咎め無しでした。ナチス刑法のように国民全員を刑罰で縛っているのではなく、特定の行政機関によって監督されるよう定められたごく狭い範囲の人々だけが管理されており、何らかの逸脱行為があった場合には行政罰が与えられるが、あくまでそれは刑事罰ではないのです。
一般国民もなかなか好き勝手なことは言えない空気というものはありましたが、それは雰囲気としての言論タブーのようなもので「日本は負けるんじゃないか」などと言えば「そんなこと言うと非国民だと言われるよ」という程度のもので、何らの罰則があるものではありません。これらは、確かに息苦しい状態であり、とても良好な状態とはいえませんが、それでもナチス刑法のもとでドイツ人が受けていた圧迫に比べれば全く他愛ないものといえます。

こんな程度のものはアメリカでも戦時中ならばあったことで、こんなものだけでもって軍閥政府の悪辣な言論弾圧などと言っても仕方ないので、米軍は日本においてナチス刑法に相当するような、言論活動に刑事罰を与える法律も探しました。
すると1925年に公布施行された治安維持法だけがそれに該当したのですが、これもあくまで罪刑法定主義に則っており、基本的には国体変革のための過激思想活動、つまり共産主義活動のための結社の自由を制限するための法律で、死刑と懲役刑が科せられるものでした。1941年の改正で結社の準備活動や宣伝活動も罪に問われることになり、言論活動でも刑罰の対象となったのはこれ以降ということになりますが、これもかなり拡大解釈してやっと取締可能になるという程度でした。
この法律では1925年から1945年までの間に7万人が逮捕されたが起訴されたのはそのうち1割だけで、どうやら逮捕する時は官憲の判断で割と大雑把に逮捕して、その後、起訴するだけの証拠が揃わない場合が多かったようで、つまりはあくまで共産主義活動やその他特定の過激思想活動だけを取り締まる法律という罪刑法定主義の枠組みは崩れていないのです。
ただこうした活動というのは表向き無難そうな活動に偽装している場合が多いので、逮捕する側としても怪しそうな集団があれば間違って逮捕してしまい、後で問題のない集団であったと判明して釈放するというようなことも多かったようです。それで起訴率が低く逮捕者がやたら多いのです。この逮捕者の多さでもって悪質な法律であったと判断するのは早計というものでしょう。
少なくともナチス刑法のように政府や裁判官の恣意的判断で有罪となるような法律でなかったのは確かです。実際、この法律で死刑になったのは日本国内においては1942年に起訴されたゾルゲ事件の被告のリヒャルト・ゾルゲと尾崎秀実の2人だけで、他はかなり刑罰は軽かったのでした。

このように、どうもナチス刑法などに比べれば全然大したことはないのですが、それでも「日本軍閥政府がナチスばりに言論弾圧を行っていた事例」として米軍はこの治安維持法を稀代の悪法として大々的に取り上げて非難するプロパガンダを行いました。
このようにかなり無理のあるプロパガンダを成り立たせるため、治安維持法が悪である証拠として、治安維持法によって罰された人々が善人であったということにする必要がありました。「こんな善い人達を罰していたということは悪法に違いない」というわけです。バカバカしいようですが、現在でも良く使われる手法です。つまりこの悪法で罰された人達は冤罪であったということをアピールし、冤罪を生み出した悪法であったと主張するわけです。
そこで治安維持法で罰されていた人達を冤罪であったとして釈放して英雄として持ち上げるキャンペーンが行われました。ナチス刑法の場合は確かに冤罪の人は多くおりました。というか、罪刑法定主義に則っていないのですから基本的に大抵は冤罪だったはずです。しかし日本の治安維持法の場合は10人に1人しか起訴されなかったぐらいですから冤罪はほとんどありませんでした。逮捕されていたのはみんな共産主義者で、共産主義者が釈放されて英雄として持ち上げられることになったのです。
しかも日本における共産主義者には朝鮮人が多く含まれていました。日本共産党が天皇制度を認めておらず革命で天皇制度を廃止することを目指していたため(だから治安維持法で取り締まられることになったのだが)当時の普通の日本人には受け入れがたいものがあり、その点、朝鮮人ならばそういった方針も抵抗なく受け入れられたため、共産主義者には朝鮮人が多かったのです。朝鮮人ならば先述したような理由で米軍に優遇されており、そうした朝鮮人が多く参加しているのなら共産主義活動も立派な活動ということになります。しかも悪法である治安維持法で弾圧されていた活動ですから、朝鮮人も共産主義者も二重の意味で英雄視されることとなります。
米軍の本国アメリカでは共産党は非合法なのですから何とも馬鹿みたいな話ですが、日本において軍閥をナチスと同等の悪とするプロパガンダを貫徹するためには、こういう滑稽なこともやらねばならないわけです。こうして戦後しばらくの間の共産党の大躍進と、その後の左翼系言論活動の活発化という戦後日本の奇怪な現象へと繋がっていくのです。

結局、敗戦後ドイツにおいてナチスだけを悪者にする目的で行われたプロパガンダの手法を日本でそのままやろうとしても、日本の実情に合っていないので、このように現実とズレまくった滑稽なことにしかならないのです。
「軍閥」などという戦国大名のような勢力は昭和の日本には存在しませんでしたし、その軍閥が暴力で日本政府を乗っ取ったなどという歴史的事実はありませんでした。だいいち日本は専制国家ではなく民主主義国家であり、選挙で選ばれた議員がいて、国政をチェックしていましたから、軍閥程度が好き勝手など出来るわけがない(ただ軍令が政府から独立しているという制度的欠陥はあったので軍事作戦が暴走することはあった)のです。軍部の中枢を占めていたのはただの軍事官僚で、狂信的なカルトの信者などではありませんでした。だいたい神道には世界征服の教義などありません。死を精神的に克服するのはどの宗教でも共通の目的であり、神道は殊更に復讐の聖戦を訴える血に飢えたカルトなどとは違います。天皇は絶対神と同一ではありませんし、そのような認識も存在しませんでした。国家が神道を政治的に利用しようとしたこともありません。また日本政府は朝鮮人を絶滅させようとしたり奴隷化しようなどとはしていません。勝手に日本に出稼ぎ(ちなみに違法)に来た朝鮮人が日本人とトラブルを起こしていただけで、そもそもユダヤ人差別のような深刻な差別など存在していませんでした。当時の共産主義者は暴力革命を肯定するテロリスト集団で、その活動を取り締まるのは言論弾圧などではありませんでした。だいたい日本では言論活動のために刑事罰を受けるような制度は存在していませんでした。
こうした当時の日本人なら誰でも知っている現実を全く無視したような荒唐無稽なプロパガンダを維持していくためには、米軍はドイツの場合とは比較にならないほどのエネルギーを費やして言論統制に励むしかなかったのでした。つまり、明らかに嘘だと分かっていることでも、白を黒だと言いくるめてしまう、いやもう強権で押し通してしまう必要が生じてくるのです。
なんてことはない、戦時中に日本政府や軍部がやっていたのと同じような言論統制を米軍もやったのでした。彼らのやろうとしているプロパガンダに都合の悪い情報が出来るだけ日本人の目に触れないように大規模に検閲を行って情報を操作したのです。そのために戦前に日本政府が作り上げたマスコミ統制システムがそのまま活用され、日本のマスコミは米軍の監督下で日本国民を騙し続ける工作機関と化し、日本国民や日本政府が米軍の情報統制から外れないように監視することになりました。これが戦後日本マスコミの独特の言論スタイルや報道スタイルに繋がっていくのです。

こうして戦後、米軍の指令によって日本マスコミは嘘情報を垂れ流し続け、真実の情報を隠蔽し続けました。逆らえば潰されるし、そもそも逆らうことが出来るシステムではありませんでした。また、彼らはもともとそのように隠蔽したり騙したりするために日本政府によって作られた機関なのであり、真の意味でのジャーナリストなどではありませんでした。そういうジャーナリストは大正期の終わりに日本からはいなくなっていたのです。だから雇い主が日本政府から米軍に変わったところで、彼らのやることは同じであったのでさしてその職務に抵抗はありませんでした。
そういうわけで彼らは米軍の言うままに嘘の報道や言論を積み重ねていきました。すなわち、「戦前の日本には民主主義などは存在せず、国民国家などではなく、天皇絶対主義専制国家であった。軍閥が世界征服を妄想する神道カルトの教義を狂信して政府を乗っ取って侵略戦争へと突き進んでいった。天皇を絶対神と同一視する狂信者である軍閥勢力が神道を政治的に利用して国民を洗脳した。朝鮮も台湾も満州も軍閥が世界征服計画の一環として不正な手段で強奪した領土で、本来の所有者へ返却しなければならない。軍閥は情報を操作し暴力で脅して日本国民を騙して戦争に駆り立ててたくさんの日本人を殺した悪辣な連中である。軍閥は朝鮮人差別を扇動し、奴隷化して滅ぼそうとした。軍閥は言論弾圧のために治安維持法を作り、無実の罪で多くの人を投獄して殺害したが、特に激しく弾圧を受けたのは共産党で、共産党は軍閥の抑圧に耐え続けた。戦勝国は日本軍閥のアジア侵略戦争に立ち向かった正義の勢力で、日本国民は戦勝国によって軍閥の悪政から解放された。日本は軍閥の起こした戦争によってアジア諸国に多大な迷惑をかけた。軍閥復活阻止のために日本は軍事力を持つべきではない。これからの日本は軍閥の支配を脱してアメリカの与えてくれた民主主義を育てていかねばならない」と、まぁこんなところです。阿呆らしいような大嘘ばかりの内容ですが、これが「戦後民主主義」といわれているものの原型となっているのです。

それはどうしてなのかというと、以下のごとくです。すなわち、この言論統制の最も悪質だった点は、そうした言論統制が行われているということ自体を秘密にしていた点です。何故なら、米軍はナチスや日本の言論統制を非難する立場であったわけですから、その米軍がナチスや日本がやっていたのと同じような言論統制をやっているなどと公言するわけにはいかなかったからです。
しかし、こうした言論統制を隠して実施することは極めて悪質なことであり、しかも他国でそれをやるというのは許されざることです。ある意味、ナチス刑法に匹敵する悪質さと言っていいでしょう。それゆえ、これは米軍による統制が終了しても暴露するわけにはいかなかったのです。共犯者である日本のマスコミや政府もタダでは済まないからです。いやそれは報道機関としての自殺を意味するでしょう。だから暴露は出来ませんでした。
暴露出来ないということは、「それ以前に報道した内容が実は嘘だった」とは言えないということです。するとそれらを相変わらず真実だとして報道しなければいけないし、新たに報道する内容も新たに言論を構築していく内容も、それまでに報道してきた内容と矛盾ない論旨にまとめないといけないので、それまで積み重ねてきた嘘の体系と矛盾するような新事実は報道されずに捨てられることになり、事実は捻じ曲げられ続けていくのです。
例えば、悪名高い「記者クラブ」というものはその原型は戦前期に出来た特権的マスコミ階級を使った言論統制システムで、それが占領期に日本政府から占領軍へとご主人さまを替えて日本政府を監視する機関となり、その後占領軍が去っていった今は日本政府から独立して連合軍権力の遠隔操作を受ける第一権力機関となって日本政府や日本国民を騙し、監視し続けているわけです。

また、占領軍は、まぁ戦時中あれほど非道を行い占領後もこれほど酷いことをしていれば当然なのかもしれませんが、日本人の復讐を本当に恐れていたようで、私文書の検閲や書籍の焚書まで大規模に行っていました。それだけでもナチスやソ連と大差無い酷さなのですが、いや、だからこそなのでしょうが、これらも秘密裏にやっていました。
問題はその日本人協力者です。これはかなり教養があって秘密厳守が期待出来る人間でないと務まりません。ついでに言えば自己保身や立身のためには同胞を裏切って平気な価値観を持った人間です。つまり学者です。
そこで占領軍は、占領軍の方針にとって都合の悪い学者(つまりまともな学者)は公職追放してしまって国立大学から追い出し、後釜に若い研究者や無能な研究者を据えて教授や助教授にして取り込み、こうした検閲や焚書をやらせたのです。こうなるともう彼らは逃げられません。逆らえばせっかく手に入れた学問世界での地位を失うからです。それに、このような卑劣な行為を行っていたなどとバレたら日本国民に殺されかねません。だから彼らは秘密厳守に努め占領軍と一体化していきました。
よって彼らの主張は占領軍の作った与太話そのものとなっていき、その与太話を学問的に補強するエセ学説を積み重ねていくことになりました。こうしてニセ学者が日本では大量生産されていき、特に検閲や焚書の協力者は文系の学者に多かったので戦後日本の文系の学者はお話にならないくらいの低レベルとなってしまったのです。その点、理系は救われて、かなりの業績を戦後も挙げることが出来ました。
この戦後日本で大量に生まれた秘密検閲官上がりのニセ学者たちがマスコミと結託して占領軍の作った与太話をもっともらしく広め、大学では弟子たちに与太話を教え、与太話を真実だと思い込む馬鹿だけを可愛がり出世させて自分の子分としていったため、全国にニセ学者が大量増殖することになり、占領軍が去った後もこれらニセ学者たちは自らの暗い経歴は隠して与太話を正統派学説の地位にまで押し上げてしまったのでした。今更、あれは占領軍に言わされていた嘘でしたなどと言えば墓穴を掘ることになるので、死ぬまで嘘を押し通すしかないのです。そうなると学会の権威が正しいと言っている内容は学会の定説となり、しまいには全国の小中学校でもその与太話が大真面目に教えられるようになり、被害は甚大なものとなっていきました。
もちろん占領期から阿呆みたいな与太話はマスコミや学校などでも垂れ流されていたのですが、戦時中の現実を知っている人達はこんなマスコミの垂れ流す与太話など、当初はあまりにリアリティが無いのであまり相手にはしていませんでした。それでもしつこく地道にマスコミや学者がこうした報道や言論活動を続けていくことによって、特にこの与太話を政府も公式見解としていたため学校教育でもこうした与太話が教えられていくようになると、戦時中を知らない世代は次第にこの与太話を信じるようになっていき、いつしかそうした戦後世代が社会の中核になっていくとこの与太話のほうが社会の支配的言説となっていき、そうして現在に至るまで、マスコミや学会が今の姿で生き永らえ続ける限り、大嘘ばかりの内容が垂れ流され続けているわけです。
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【2014/07/09 19:11】 | # [ 編集]



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