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現代史についての雑文その17 ドイツと日本3
続いて「戦勝国は敗戦国に対する戦争賠償の請求権を放棄する」というドイツ・フォーマットを日本に適用したことによる影響についてです。これはドイツにおいてはドイツ国民を追い詰めるような巨額の賠償を科すことがドイツ統治を困難とし、新世界秩序にも悪影響を及ぼすという考え方に基づいて実施された措置です。せっかくナチスだけを悪玉にして一般ドイツ人を免責するプロパガンダをしていたのですから、そこで巨額の賠償金などかけてしまっては台無しなのです。
こうした原則は日本にも適用され、戦勝国は日本に対する賠償請求権を放棄しました。ただ、ドイツの場合と同様、在外日本資産の没収は行われました。しかしこの在外日本資産の没収額が日本の場合かなり巨額となったのです。それはどうしてなのかというと、そのほとんどは朝鮮、台湾、満州にあった日本資産であったからなのです。これらの地域は日本領土もしくは完全に日本の勢力圏で、しかも日本は官民挙げてこれらの地域にかなり大規模な投資をしていたのです。それらの地域が終戦後、「不当に併合した領土」と見なされて取り上げられてしまい、そこにあった日本資産が在外資産として没収されてしまったのです。

これらの地域の国土自体が大変な価値があるものなのですが、その上にそこにある日本の資産も重要な戦利品でした。こうした戦利品を得ることになったのはシナと朝鮮でした。ただ満州の日本資産については幾らかはソ連が略奪していってしまいましたが、日本資産は満州への投資分が最も多かったので、ソ連が奪い去った分を差し引いても魅力的な価値がありました。
しかし、これらの3地域の国土や資産がシナ人や朝鮮人に奪われるということは、日本人にとってはもちろん愉快なことではありませんでした。まず日本は対外戦争に負けたことが無かったので、こうした経験が初めてであったから、理屈では分かっていてもどうしても腹が立つからでした。また、このあまりに巨額の没収措置は「戦争賠償は要求しない」という戦勝国の言い分とは矛盾するのではないかという道義的憤りがありました。また、シナに対しては戦争は負けていなかったという想いがありますし、朝鮮に対してはそもそも同じ日本の国民として共に闘っていたはずなのに、戦争が終わったら戦勝国のような顔をして賠償を受けるとは何事だという怒りがありました。

更に日本の賠償はこれで終わりませんでした。ドイツの場合は降伏後、ポツダム会談時点で賠償請求の放棄(ソ連略奪追認分除く)の方針が決まった後、東西冷戦の最前線となったこともあって、結局は連合国との間で正式な講和条約を結ぶこともなく現在に至っているのでこの問題が蒸し返されることもなかったのですが、日本の場合は1951年のサンフランシスコ平和条約締結時に「日本軍に占領されて被害を受けた国」に対して賠償を行うことが義務づけられてしまったのです。
一旦、日本への賠償請求はしないという方針になっていたはずなのに、どうしてこのような方針転換がなされたのかというと、1945年時点では存在しなかった国家が1951年には東南アジア地域でいくつも、欧米植民地から独立して生まれていたからでした。つまり敗戦時の戦勝国との口約束では賠償は請求しないということになっていたのですが、いざ講和条約を結ぶ段階になると新しく戦勝国が増えていたので、その増えた分の国家については1945年の口約束は効力が無いので、これらの国家には賠償をしなければいけないという理屈のようです。
これはどう見てもおかしな論理で、1945年時点で存在していないような国家がどうして1945年に終了した戦争における損害の賠償を請求することが出来るのか、全く不可解極まりないといえます。だいたい戦勝国が新たに増えるということ自体が不可解で、後出しじゃんけんのような胡散臭さが漂います。要するにこんなものは詭弁なのです。

大東亜戦争の終了後、東南アジアの欧米植民地だった地域はそれぞれ宗主国との独立戦争に勝って独立しましたが、旧宗主国は独立を主導した勢力とは敵対関係でしたので、これらの新興独立国とは断絶し、支援などしませんでした。まぁそもそもこれらの宗主国はみんなヨーロッパの戦災によって自国の経済も破綻寸前でしたから、アジアを支援している余裕など無かったのですが。しかしこれらの新興独立国はまだまだ貧しく、外国からの支援を必要としていました。しかし当時において海外投資が出来るほど余裕のある国はアメリカぐらいでした。
ヨーロッパでも第二次大戦後、たいていの国が戦災によって経済が破綻寸前で、従来ならば敗戦国からたっぷり賠償金をふんだくってそれで損失分を補填するのですが、第一次大戦後に敗戦国ドイツにそれをやってしまったために第二次大戦を招いたという教訓から、第二次大戦後は敗戦国ドイツから賠償金は取らないという方針としたので、各国は戦災からの復興が自力で出来なくなってしまったのです。要するに、戦争が大規模化したために賠償金も取れなくなり戦災からの復興が困難になったことによって、ヨーロッパでは戦争は割に合わないこととなり、これによって長らく続いたヨーロッパの戦乱の歴史が終わりを迎えて欧州統合への道がここから始まったのです。
それはともかく、現実問題としてドイツから賠償金が取れない以上、ヨーロッパ各国の経済再建は困難なままとなります。国際通貨基金や国際復興開発銀行なども作られていましたが、それだけでは全然足りませんでした。しかしヨーロッパの経済危機を放置しておくと共産主義勢力が浸透してくる恐れがありました。実際、戦後になって西ヨーロッパへも共産主義勢力は拡張してきました。アメリカとしては急いでヨーロッパ経済復興へ資金援助をしなければいけない状況となったのです。いや、もともとアメリカにとっての第二次大戦参戦の目的の1つがヨーロッパ市場への進出であったのですから、アメリカの多国籍企業グループにとってはこの展開は願ってもないことでもあったでしょう。こうして1947年から開始されたヨーロッパ復興のためのアメリカによる経済支援計画がマーシャル・プランでした。
これと同じことをアメリカが東南アジアの新しく生まれた貧しい国々のためにもやってあげればよかったのです。東南アジアの人々に国作りの方法を教えたのは日本でしたが、旧宗主国に対して植民地を手放すよう勧告して、直接に東南アジアの国々の独立のきっかけを作ったのはアメリカであったのですから、アメリカが責任を持つのが筋であったと思われます。
しかし、アメリカの多国籍企業体はこの地域の市場にあまり価値を感じなかったようで、この地域への投資には乗り気になりませんでした。また、この地域は当面は西側にも東側にもつかない第三極を目指す傾向が強く、アメリカとしてもさしあたりはこの1950年代初頭あたりはこの地域で共産主義の脅威を強く感じるという状況ではありませんでした。そういうわけでアメリカとしては自らこの地域にお金を出したくなかったので、賠償金という形にして日本に肩代わりさせることにしたのです。
日本からは賠償金を取らないという約束であったはずですが、それはあくまで日本統治を円滑化させるための措置で、講和条約を結んでアメリカの日本統治は終わるわけですから、もう賠償金を取っても大丈夫なのです。それに占領期間中に日本政府との間に、日本がアメリカに従属する形の堅い同盟関係が出来上がっていたので、多少約束を違えて賠償金をふんだくったところで日本がアメリカに逆らって新世界秩序を壊すなどということはないだろうと予想出来ました。そこでその日米同盟関係の発足と同時に、アメリカが日本を軍事的に抑えつけつつ外敵から守ることの引き換えに、日本がアメリカの代わりに東南アジアに金をばら撒くという次第となったのです。まさに日米安保体制の本質を象徴する船出であったといえるでしょう。

この1951年時点で日本による賠償を受けたのはビルマ、フィリピン、インドネシア、ベトナムの4カ国でしたが、当時は日本も財政は苦しかったので、賠償は現金ではなく生産物や服務によるもの、つまり日本人が自腹で現地に行ってタダ働きして何か現地で必要なものを作ったりする形での支援となりました。これも日本にとっては決して軽い負担ではなく、大変だったのですが、占領期間中ずっと海外との関係を禁じられてきた日本にとっては、義務的なものとはいえ、積極的に海外へ進出していく契機ともなったのでした。この措置は敗戦後ずっと対外的に孤立状態だった日本を講和独立に際して経済的に自立していけるだけの最低限の対外関係を確保させるというアメリカの狙いもあったのです。
実際、この賠償は日本経済が東南アジアに進出していくきっかけとなり、この後、日本はアメリカの管理下でアジアの工場となって金儲けをして、その稼いだ金をアメリカの世界戦略のために海外にバラ撒くという、極東におけるアメリカの財布としての役割を果たしていくことになるのです。財布になるということは、つまり奴隷になるということです。アメリカは講和後も日本がアメリカの奴隷となることを望んだのでした。いや、さもなければ主権回復は成らなかったかもしれません。そんなものが主権回復といえるのどうかはやや疑問ですが。
ともかく、その路線のもと、日本は1950年代から1960年代にかけてラオス、カンボジア、シンガポール、マレーシア、ミクロネシア(これら諸国はサンフランシスコ平和条約にはそれぞれ事情があって不参加)、および再びビルマにも賠償に準じる「準賠償」という資本提供を行っていきます。また、大東亜戦争時に日本と同盟関係にあったタイに対しても補償を行い、戦時中は日本の一部であったはずの韓国に対しても1965年の国交樹立の際に補償という名目で莫大な経済援助を行っています(なお台湾は国交樹立時に請求権を放棄)。このあたりになるともう法的に正式な賠償という形をとることが無理なので、実態は単なる経済援助に過ぎないのですが、あくまで賠償や補償という名目にこだわって日本がアジア方面に金や資本を提供し続けること、経済進出していくことの大義名分としていることが明らかです。

つまり、敗戦時の朝鮮、台湾、満州などの理不尽な領土割譲や在外資産没収から始まり、講和以降のアメリカの世界戦略のためのアジア地域への経済援助や資本提供の負担を負わされることなど、日本国民にとっては「戦勝国による賠償は日本に対して請求しない」という当初の話とはだいぶ違うもので、不満が募るものであったのです。
その不満が反米感情や新世界秩序への異議申し立てに繋がらないよう、また、この「戦勝国による賠償は日本に対して請求しない」というドイツ・フォーマットをあくまで貫徹したいアメリカは、このように日本がアジアに金を払い続け資本を投下し続けなくてはならないのは、あくまで通常の戦勝国への賠償なのではなく、戦争中にこれらの地域で日本軍が迷惑をかけた「償い」なのだということを強調したのです。「敗者から勝者への賠償」ではなく、「加害国から被害国への償い金」のようなものだというのです。
日本人は判官贔屓で、強者より弱者を贔屓します。勝者は強者ですが被害者は弱者です。強者である戦勝国に対して弱者である敗戦国日本が金を払うのは腹が立つが、弱者である被害国に対して強者である加害国日本が金を払うのならば仕方がないし、出来れば積極的にそういう償いはすべきだというのが日本人特有の考え方です(普通は弱者が強者に金を払うのは当然と考える)。だから、こういう論理は日本人を説得するには有効でした。
そういうわけで、こうした考え方を日本国民に徹底させるために、この一連のアジアへの経済援助に並行して、「日本軍が大東亜戦争中にアジア諸国で悪いことをした」ということを強調するプロパガンダが日本国民に向けて大量投下されることとなりました。そうして日本人に植え付けた贖罪意識でもって日本からアジアへ向けて金を絞り取ってバラ撒くことを正当化したのでした。この日本人の信じ込まされた偽りの贖罪意識と一体化した海外経済援助体制こそODA体制の始まりだったのです。

日本人は、既に占領期間中に日本罪悪史観の洗脳をある程度受けていたために、この嘘宣伝を信じてしまい、大東亜戦争中に日本軍が展開していた地域では全て日本軍が悪事を働いて現地の人達に迷惑をかけていたものだと信じ込んで、それに対する償いとしての贖罪支援を繰り返していくうちに、いつしかそうした償いを続けることは日本人の永久の義務だとまで思いこむようになってしまいました。
日本人は償いというものは多くするほど価値があるものだと思っているので、金を出すだけでなくて心から謝罪したりまでするようになり、日本の政治家が東南アジアに出向いてわざわざ謝罪したりして、逆に現地の政府の人達がビックリするというようなトンチンカンな事件も起きたりするようになりました。実際はアジア諸国に対して戦時中に日本軍が迷惑をかけたようなことはあまり無く、むしろ東南アジア諸国のほうが積極的に経済支援をしてくれた日本に感謝していたぐらいなので、彼らはどうして日本の政治家が謝るのか意味が分からなかったのです。
しかしこうした嘘宣伝に基づいた日本人の贖罪意識はアジアに金を出すことが日本の義務であるという思い込みを生み、1972年に共産シナとの間に国交が樹立すると、今度は「日本軍が戦争中にシナで迷惑をかけた」というキャンペーンが大々的に行われるようになり、その贖罪の大合唱の中で共産シナへのODAが大規模に展開されていくようになっのですが、これもまたアメリカ主導の日米政府共謀の世界戦略に則って日本をアメリカの財布としてシナへどんどん金をつぎ込んでいくものでありました。
同様に1977年にはモンゴルとの間に経済協力協定を結び、これで大東亜戦争中に日本軍が展開していた地域の中で戦後日本が贖罪の金をバラ撒いていない地域は北朝鮮だけが残されているのが現状です。嘘宣伝に乗せられて贖罪意識に凝り固まった人達はなんとしても北朝鮮への経済支援を実現させて日本軍の犯した罪を完全に清算したいと願っており、こういう妄想馬鹿を上手く利用してアメリカ政府や日本政府の狡賢い人達は彼らの目的を達しようとしているというわけです。

こうした戦後日本のアジアへの経済支援政策自体は、まずそこに利権が絡んでいるという点、そして戦後日本の国家の在り方全体の中の一部として根本的に問題のある部分もありますが、それでもそれなりに日本の国益にも寄与するものもあり、絶対的に悪いことでもないとは思います。そういう根本的問題はまた別の機会に考えたいと思います。
ここで言いたいのは、普通に経済支援を行うか、あるいは普通にやっぱりアメリカに賠償をするという形にすべきであったのではないかということです。経済支援をするなら純粋に経済的に行うべきであったし、賠償が必要なら交戦国であったアメリカに払い、アメリカがその金をアジア支援に回すなり勝手に使えばよいのであろうと思います。
妙にアメリカが「日本からは賠償をとらない」というドイツ・フォーマットにとらわれたために、日本が実際に戦ってもいない相手のアジア諸国に対して日本が金を出すという変則的な賠償スタイルを作り出してしまい、それを正当化して日本人を納得させるために「日本が戦時中にアジアに迷惑をかけたので贖罪のために経済支援する」という嘘を作り出してしまったことが問題なのです。
何故なら、これによって経済支援の副産物として日本人の意識の中に余計な贖罪意識を生み出してしまい、それが自らを罪深い存在と見なす妙な自虐意識を生み出し、国家の活力自体を奪い、内政外交全般に奇妙な縛りをかけている結果となっているからです。
終戦直後に生み出された「戦前戦中の日本を否定する意識」というものは、まぁこれはこれで歪んだ意識ではありましたが、それでもまだ「軍国主義の時代を反省して今や日本は世界に冠たる民主主義、平和主義の国家となった」という前向きな気持ちや誇りというものがありました。しかし、この1960年代ぐらいから定着するようになった「アジアへの贖罪意識」はひたすら暗く陰惨な自己否定に沈みがちなものでした。特に謝っても謝っても許してくれない韓国やシナを相手にするようになった1970年代以降はこの自虐意識は絶望的な自己否定色を強めるようになり、特に学校教育などを通じて若い世代の心に暗い影を落とすようになり、やがてその世代が社会の中核を担うようになり、今や、その日本の歪な姿はその原因を作ったアメリカでさえ対処に困ってしまうくらいにまで重症化が進んでいるのが現状です。

まぁこういう国内だけの自虐意識だけならまぁいいでしょう。日本人が自分でなんとかすればいいのです。もっと深刻な問題は、この贖罪支援の展開によってこうした日本の誤った贖罪意識が国際的な広がりを持ってしまったために、アジア諸国、いや実際は共産シナ、韓国、北朝鮮の3カ国の「反日」を増幅してしまったことです。
これらの地域はもともとはそんなに極端に反日的な地域ではありません。文化の違いなどもあり、伝統的には日本とあまり仲が良いということもなかったですが、それなりに上手くやっていました。現在のヒステリックなまでの反日傾向は政治的に作り出された作為的なものです。そして、その原因は大東亜戦争にあると彼ら3カ国は主張し、日本人でもそのように思い込んでいる人も多いのですが、実際は戦後処理がその原因を作ったのです。と言っても日本の戦後処理が足りないから反日が増幅したなどという与太話ではなく、戦勝国の身勝手な戦後処理を正当化するためにかの国々では反日が生まれ増幅していったのです。

それはどういうことかというと、こういうことです。第二次大戦終了時点まで台湾と朝鮮は正当な日本領土でした。満州も日本が作った正当な独立国家でした。これらを終戦時に正当な理由なく奪ったのがシナ人と朝鮮人でした。また、それらの地域にあった日本の資産も全て彼らが奪い取りました。まぁ正確には彼らが奪ったのではなく戦勝国(アメリカおよびソ連)が奪って彼らに与えたのです。
だから彼らは当初はそんなに日本に対して悪意があったわけではありません。シナは日本と戦争していましたが、シナの内戦に日本が巻き込まれたというのが正確な姿で、シナ人はそれほど日本を憎悪していたわけではありませんでした。単にシナ人の一部、例えば国民党や共産党がそれぞれ戦略的な意味があって日本と敵対していた部分が大きかったといえます。朝鮮人に至っては日本人の仲間でした。台湾に住んでいた原住民やシナ系住民も日本人の仲間でした。しかし彼らは日本の敗戦の結果、彼らの意思など関係なく、戦勝国の思惑によって、否応なしに日本の正当な財産を盗んだ泥棒の一味にされてしまい、その奪った財産を与えられてしまったのです。
彼らとしてはこれはかなり迷惑な話で、それまでアジアで最強国であった日本の恨みを買ってしまったと彼らは考えました。今は敗戦国になって弱っているが、日本はいずれ復活したらまた奪われた領土や財産を奪い返しにやって来るに違いないと思いました。正当な領土や財産を不当に奪われたら取り返すのが当たり前だからです。
だから彼らは来るべきその日を恐怖しました。彼らが日本に対して警戒的になるのは当たり前であり、反日的になるのが当然なのです。出来れば日本には復活してほしくないし、軍隊も持ってほしくないし、もし軍隊を持ってもその行動は出来るだけ雁字搦めに縛られて身動き出来ないほうが助かるのです。だから軍国主義復活反対だとかなんだとか訳の分からないことを喚いて日本が普通の国になることをヒステリックに嫌がるのは、彼らにしてみれば自衛のために全く当然のことなのです。
だいたい、韓国と北朝鮮などは国土全体が日本からの盗品のようなものです。盗品を返してしまったら彼らには何も無くなってしまいます。シナ国民党も台湾と満州を日本から奪いましたが、その後シナ共産党に追われて台湾に逃げ込みましたから、彼らの国土も丸ごと日本からの盗品のみになってしまいました。共産シナは日本から盗んだ土地は満州だけですが、彼らは満州にあった日本資産を盗んで、それを元手にしてシナを征服しました。つまり日本からの盗品で成り上がったのが共産シナの出自です。彼らはみんなもともと盗人の悪人たちということになります。
しかしそんなことを正直に認めてしまったら国家は成り立ちません。彼らは自分達の日本からの泥棒行為を正当化しなければなりません。そのためには日本を悪者にするしかありません。「日本がもともと悪辣な泥棒なのだから、その日本から盗むのは正しいことだ」とアピールするしかないのです。だからこれらの国々では建国当初から日本を悪玉に仕立てて、過去に日本にあんなこんな酷い目にあわされたので、だから我々の日本に対する泥棒行為は実は凄い英雄的行為なのだと必死で主張するような反日史観を国民向けに懸命にプロパガンダして、自らの政権の正当性をアピールしたのでした。特に国土の全てが日本からの盗品で出来ている韓国と北朝鮮の焦りは凄まじく、その反日宣伝は強烈なものとなりました。
まぁここまではそんなに不思議なことではありません。当時は世界中が反日のようなものでしたし、彼らに日本の領土を奪って与えた戦勝国も当然反日であり、シナにも朝鮮にも大いに反日になってもらいたいと期待していたのであり、シナも朝鮮も十分以上にその期待に応える結果になっただけのことです。日本にとっては決して愉快な話ではないですが、これは当時の世界においては当然の潮流であり、全く不自然さはありませんでした。

問題はその後、日本が講和独立に際して東南アジアに向けて、アメリカの思惑に沿って「贖罪のための支援」とやらをやり始めた後のことです。東南アジア諸国は実際のところ日本から損害など受けていませんでしたし、また逆に日本から領土や資産を奪ったこともありません。彼らは欧米の旧宗主国から領土や資産を奪って(譲り受けて)国を作ったのであり、日本軍は彼らの植民地時代の終わり頃のごく短い期間駐在していただけのことで、むしろその時に国作りのノウハウを教えてくれた恩義があるくらいでした。だから彼らは真の意味での反日ではありませんでしたし、建前としての反日である必要もありませんでした。だから日本からの贖罪の申し出には驚きましたが、支援は有難く頂いて素直に感謝することが出来ました。
しかし、日本が贖罪のために賠償金をバラ撒いていると聞いて、自分達こそが真っ先にそれを貰う当然の権利があると主張せざるを得ない国々がありました。それは建国以来一貫して自国民向けに極端な反日宣伝、反日教育を繰り返し、自分達が過去において日本によって途轍もない被害を受けてきたと誇大に宣伝してきた韓国、北朝鮮、台湾(国民党)、共産シナの4カ国でした。
彼らにしてみれば日本が贖罪などと言いながら肝心の最も謝らねばならない相手のはずの自分達を無視していること自体が許せることではなかったでしょう。いや、4カ国の為政者たちは自分達のほうが泥棒だということは分かっているのですが、それでも国民をさんざん騙してきた手前、今さらあれは嘘だったとも言えないので、日本に対して強く賠償を要求せざるを得なかったのです。
ただ4カ国の中で台湾の国民党だけは、共産シナによって大陸を追われて台湾に逃げ込んでおり、大陸への反攻のために日本との連携を必須と考えており、反日政策を捨てていました。そもそも逃げ込んだばかりの台湾の原住民を掌握するのに手一杯で、反日宣伝も反日教育もしている余裕など無かったので、国民の間に反日的な空気自体が無かったのです。ですから台湾の国民党政府は早々に賠償請求権を放棄し、日本との連携を深めていく戦略を選びました。そういうわけで台湾には反日は無いのです。
一方、大陸を支配するようになった共産シナのほうはこの時点では日本ともアメリカとも断絶関係にありましたから、贖罪とはいっても実態はアメリカの世界戦略の中での財布に過ぎない日本の支援の対象にはなりませんでした。北朝鮮も同様でした。

問題となったのは韓国でした。韓国は日本に贖罪のための賠償を強く求めてきたのです。日本人というのは謝罪したり贖罪したりするのは好きなのですが、これは自己満足的に好きなのであって、自発的に謝罪したり償ったりすることに美学を感じるので、先方から謝罪や償いをあまりに強く催促されると白けてしまう傾向があります。ましてや韓国人は大東亜戦争中は日本人の一部であったのであり、味方だったはずです。
そもそも韓国は敵ではなかったし、韓国は戦場にすらなっていません。だから日本人にしてみれば韓国に贖罪する必要など全く感じなかったので、韓国の贖罪要求に驚き、反発しました。しかし韓国としても退くに退けないので議論は延々と平行線となり、そういうわけで日韓国交樹立は1965年まで実現しなかったのです。最後はアメリカの仲裁で(韓国政府が日本人を拉致して脅迫したりしたこともあって)日本が折れて韓国にも補償金という名目で大規模支援を行うこととなり、これによって世界最貧国(豊かだった日本統治時代の朝鮮は1950年勃発の朝鮮半島で荒廃してしまっていた)であった韓国の経済はやっと自立可能となったのでした。
この韓国の惨状にしても、もともと日本から領土を奪って韓国を作ったのはアメリカなのですから、本来はアメリカが責任をもって支援すべきはずです。それを怠ったアメリカが日本に韓国経済支援を押し付けたわけです。韓国が訳の分からない贖罪要求をするようになったのももとをただせばアメリカのせいで、そのお陰で国交成立もおぼつかない状態となっていたのを、日米両政府が必死で日本国内で「いかに日本が朝鮮半島で酷いことをしてきたのか」という嘘宣伝を繰り返して、また日本国民を騙してなんとか国交を結び経済支援を実現したのでした。その後も日本国内では日本が朝鮮で行った過去の悪事に関する捏造プロパガンダは継続されて日本による韓国への経済支援は正当化され続けました。お陰で今では本当にそんなことがあったと信じ込んでいる日本人も大勢います。

しかし、こうして日本から贖罪の補償金を得た韓国のほうは、これで反日感情を満足させて反日政策を止めたかというと、実際は全く逆でした。あまりにも既存の韓国政府による反日プロパガンダの内容が誇大だったため、日本からの常識の範囲内の補償金ではとても足りないと捉えられ、韓国人は失望し、日本に対しての怒りをますます募らせ、韓国政府の弱腰を突き上げました。そうなると韓国政府も更に反日政策を強化して国民に対日強硬姿勢をアピールせざるを得なくなります。
それに、韓国政府自身、そのような償い金が偽りのもので、実際は日本から盗んだ金がまた増えただけだということが分かっているため、その分、日本に対する負い目が大きくなり、自らの存立基盤の不正性が増大し、不安感や恐怖感が余計に高くなっていくのです。それでますます日本の復讐を警戒するようになり、反日傾向を強めることになるのです。いくら表面上は偉そうなことを言って日本を罵っていようとも、実際は自分達のほうが悪いのだということが分かっているので、どんどん怖くなっていくのです。そしてますます悪事を重ねていく。これは犯罪者によく見られる悪循環です。泥棒が出自の国家はこのような転落をしていくものなのです。育ちの良い日本のような国の政治家にはそのあたりが分からないようですが、韓国やシナなどのような盗人国家はこういう思考パターンを持っています。
そのようにして、韓国においてはむしろ日韓国交成立前よりも日韓国交成立後のほうが反日政策は強化されるようになり、日本側が謝罪したり贖罪したりすればするほど、そのたびに反日傾向を強めていくようになりました。日本人にはこの犯罪者心理の機微がよく分からないので、さすがに最近では、なんて無礼な連中だと言って怒る人達もいるようですが、こういう韓国のような相手には、日本に対する精神的負い目を解消してあげるように、一度手酷い目にあわせてあげるのが一番です。そうすれば彼らも楽になって悪事に走るまで追い詰められなくなります。
国交断絶という日本からの手酷い裏切りにあった台湾が一番親日的になっているというのはそういうことなのです。台湾人は日本の裏切りによって日本人を心の底から軽蔑することが出来て、それで日本に対して感じていた負い目から解放され、普通に日本と接することが出来るようになったのです。
そして、この韓国の悪循環と同じパターンを1972年の日中国交正常化以降は共産シナが繰り返しているわけで、日本からの援助を受ければ受けるほどシナの反日政策は強化されてきました。特に1990年代のポスト冷戦時代に日本のシナへの支援が最大規模に達した頃には、同時に史上最大級の規模で反日教育がシナ全土で展開され、今やこの反日教育に洗脳されたシナの若い世代のあまりにヒステリックな反日感情が極東地域の最大の不安定要素となりつつあります。
こんな展開は、終戦時や講和時にアメリカの当局者は想像もしなかった展開であるでしょうが、彼らがドイツ・フォーマットにこだわって終戦時の日本や極東の特殊な状況を考慮せずに恣意的にその方式をあくまで当てはめようとした結果が今日のようにシナや朝鮮半島でヒステリックな反日感情が制御不能となっている事態を招いているのです。
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この記事に対するコメント

ここってマジやばぃ。何人の男に犯されたんだけど泣き
ゲーム上だけどねw私はここのサウスステージにちーこで参加してるよww
<a href="http://cl1.jp/1n3">フレンドライフ</a>

【2009/04/16 07:47】 URL | ちーこ #wpbnja.w [ 編集]



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【2012/08/10 16:31】






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