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現代史についての雑文その18 ドイツと日本4
さて、最後に「戦勝国が敗戦国だけの戦争犯罪を裁く特別軍事裁判を実施する」というドイツ・フォーマットを日本に適用したことによる影響ですが、このフォーマットのドイツにおける適用例がニュルンベルク裁判で、日本における適用例が東京裁判であるのは、誰でも分かると思います。ニュルンベルク裁判と東京裁判には共通点も多く、それらはほぼ全て裁判としての致命的欠陥にあたる部分でした。と言うより、この2つの裁判は共に全体が致命的欠陥というもので出来上がっているような代物だったので、共通点が多いのは当たり前であったのですが。
まぁ東京裁判については語るべきことがあまりに多く、それはまた別の機会にも詳しく触れることになると思いますが、ここではドイツと日本の対比ということで、ニュルンベルク裁判と東京裁判とで違った点、すなわち、ニュルンベルク裁判のフォーマットを適用しようとして東京裁判で生じた影響や相違点を切り口にして考えるのが適当であろうと思います。まぁそういう点も細かい点も含めれば多くあるのでしょうけれど、ここでは特に致命的な4つの点に絞ります。

この東京裁判はニュルンベルク裁判と同じく、戦勝国が一方的に敗戦国を裁くという著しく不公平な形式、罪刑法定主義の否定、法の不遡及の原則の無視、弁護活動の不当な制限、戦勝国寄りの証拠の恣意的な採用却下の判断、偽証罪が問われなかったこと、控訴が認められなかったことなど、およそ近代法治主義のもとの裁判とは呼べない酷いもので、集団リンチの政治ショーでありました。
それは東京裁判でもニュルンベルク裁判でも共通の特徴でした。ただ、それでもニュルンベルク裁判は酷い大嘘の内容ではありながらも、役者が良かったのか脚本が良かったのか、政治ショーとしてはなかなか見応えがあるもので、それなりにドラマとして完結していました。それは、ニュルンベルク裁判の主題がナチスによる「人道に対する罪」という虚構を裁く「人類の法廷」という茶番劇であったからでした。茶番劇なりに壮大で見応えはあったのです。
ニュルンベルク裁判で裁かれたのは「通常の戦争犯罪」「平和に対する罪」「人道に対する罪」でした。しかし「通常の戦争犯罪」も「平和に対する罪(侵略戦争の罪)」も、ドイツだけでなく連合国側もかなり犯しており、お互い様でした。裁判となれば連合国側の罪が裁かれないのは不自然と見なされるのは必然でした。
そこでナチスドイツのみが犯した人類史上類例の無い全く特殊な比類なき極悪な犯罪である「ユダヤ人絶滅政策」がこの裁判において主に裁かれる「人道に対する罪」としてクローズアップされ、この前代未聞の特別な罪を裁くための裁判は前代未聞の異常なルールで運営されることが許容されたのです。その大騒ぎの中で戦勝国側の犯した戦争犯罪や侵略行為などは誤魔化され、ひたすらナチスを絶対悪として断罪する声が高らかに叫ばれるうちに、裁判は終了したのでした。
しかし、こんなものはインチキでした。そもそもユダヤ人絶滅計画など存在しませんでしたので、出鱈目のプロパガンダの嵐の中で真の戦争犯罪が隠蔽されてナチスに全ての罪がなすりつけられたインチキ政治ショーがニュルンベルク裁判の本質でありました。それは十分承知の上で、それでもこの出鱈目やインチキの筋立てが非常に出来の良いフィクションであったため、この「人道に対する罪を裁く人類の法廷」という世紀のドラマは、それはそれなりに堪能することが出来たのでした。だから、裁判としては失格ですが、裁判ドラマ、政治ショーとしては非常に出来が良く、十分に合格点でした。

そして、罪状は出鱈目ばかりであり、文明的な裁判としては全く成立はしていませんでしたが、このニュルンベルク裁判をもっと野蛮な場、戦争行為の延長、復讐のリンチの場として見たならば、これは十分に成功例であったといえます。
裁判も人間の営為でありますが、同時に戦争も復讐も人間の営為です。裁判だけが人間にとって目的達成の手段ではないでしょう。戦争でも復讐でも、その行為が純粋なものであれば、その善悪は関係なく、多くの人の共感を得ることもあります。裁判で犯人を裁くことだけが正しいのではなく、どうしても許せない犯人を被害者やその近親者が自らの手で殺すことも決して悪ではなく、人々の共感を得る場合もあります。人間の純粋な憎悪や暴力の持つ意味を完全に法の権威で否定することなど出来ないのです。そんなことが出来るのなら、戦争はとっくに無くなっていることでしょう。戦争というのは本質的に法というものを超える行為なのです。ニュルンベルクや東京で行われたイベントはその戦争の後始末をつける場なのですから、それが裁判の名に値しない、法治主義から逸脱したものになったのも、やむを得ないともいえるでしょう。
そういうわけで私はニュルンベルク裁判は裁判としては全く評価はしませんが、人間の純粋かつ醜悪なる憎悪と復讐の場としては、このイベントは、その酸鼻極まる罪状、囚人たちの憎々しさ、復讐人や観衆の憎悪のボルテージなど、あらゆる面で素晴らしい完成度であったと思います。
ユダヤ人絶滅計画などは全く出鱈目ではありましたが、ナチスがユダヤ人を迫害し奴隷化していたことは事実ですから、ナチスがユダヤ人から復讐されるのは当たり前のことでした。また、ナチス高官が共謀してヨーロッパに大戦争を引き起こしたことも事実であり、そのために多くの戦友をナチスに殺された連合国の人達もナチスに復讐したいと思うのは当然でした。復讐はそれが本当に純粋なる復讐であれば、法や善悪など超えるものです。だから、ガス室や焼却炉などの虚構を創り出してまでもナチスに濡れ衣を被せて残酷に罰してやりたいというユダヤ人や連合国人の心情というのは復讐や憎悪の感情としては純粋であるといえます。
そうした純粋なる憎悪を剥き出しにした裁き人たちの前には、まさに復讐されるべき者達が憎々しげに並んでいました。残念ながらその最大の憎悪の対象であるヒトラーやゲッベルスは既に自殺していたので、そこには並んでいませんでしたが、それは多少順序が入れ替わっただけのことで、一足早く復讐が完了しただけのことでした。また、この憎悪の復讐ショーを見守る観衆たちも、ドイツ人も含めてほとんど誰もナチスの高官たちが助かることを望んでいる者などおらず、みんなナチスを憎んでおり、多くのドイツ人法律家もナチスへの復讐に協力しました。
このようにこのイベントにおいては憎悪が充満し、復讐の刃は向かうべきところに自在に向かっていました。まさに野蛮と狂気、憎悪と復讐のイベントとしては完璧な出来栄えでした。こうして、あらゆる復讐感情、応報感情を満足させて被告人の処刑をもってニュルンベルク裁判は見事に完結し、それがあまりに完璧に完結したため、ある意味、その後のドイツに何も影響を及ぼさなかったといえます。ユダヤ人絶滅計画のような全くリアリティの無い犯罪が二度と(いや一度も)起きるはずはなく、こんな裁判は何の教訓も残すことはなく、単に復讐のカタルシスを残しただけであったのです。

こうしたニュルンベルク裁判に比べて東京裁判はどうであったでしょうか。まず、東京裁判では「通常の戦争犯罪」が訴因とされましたが、これはハッキリ言って日本を裁く側である戦勝国、すなわち判事席や検事席に座っている側の人達のほうがよほど多く罪を犯していました。
アメリカ軍は南洋の島々で投降した日本兵を虐殺したり捕虜虐待を日常的に行っていましたし、民間船を潜水艦で面白がって沈めていました。日本本土の多くの都市に対しての無差別絨毯爆撃は明白な戦時国際法違反です。ソ連軍は満州や北方領土で投降した日本軍の捕虜や民間人を大量にシベリアに連行して奴隷のように働かせましたが、これは戦時国際法違反です。シナ軍は戦時国際法違反の便衣兵を公然と組織化し、日本人シナ人を問わず民間人を襲撃していました。これらの戦勝国側の戦争犯罪が裁かれることなく、日本の戦争犯罪のみが裁かれるのは不公平でした。
日本側が連合国側の上記のような戦争犯罪の証拠を提出しても全て却下され、逆に日本側の戦争犯罪の証拠は連合国側の出す証拠はどんないい加減なものでも大抵は採用され、それに対する日本側の反証は悉く却下されました。全く暗黒裁判と言ってよいでしょう。こういう不公平はニュルンベルク裁判と同じでした。

更に東京裁判ではニュルンベルク裁判と同様、「平和に対する罪」が訴因とされました。これは侵略戦争を罪とするものですが、このような罪はニュルンベルク裁判以前は存在しませんでしたので、大東亜戦争以前の日本の戦争でこの罪を訴因とするのは「事後法は適用出来ない」という近代法の大原則「法の不遡及の原則」に反するので無効となります。
いや既にパリ不戦条約で侵略戦争は禁止されていたという意見もありますが、百歩譲ってそうだとしてもパリ条約では侵略戦争の罪に対応する刑罰が設定されていないのですから、東京裁判において侵略戦争の罪で刑罰を科すのは近代法の大原則である「罪刑法定主義」に反するのでやはり無効でしょう。
こんな暴挙がもし許されるのならば、アメリカインディアンの人々はアメリカの白人移民を侵略の罪で訴えても良いということになり、アジアやアフリカやオセアニアの原住民の人々も西洋列強諸国を侵略の罪で訴えても良いし、シベリアの諸部族の人々もロシア人を侵略の罪で訴えても良いということになります。彼ら戦勝国もまた、「侵略によって罰を受けるという規定が無かった時代の出来事では訴追されない」という「法の不遡及の原則」や「罪刑法定主義」によって守られているという点では日本と同等であったはずなのですから。もし日本が侵略者として罰されるべきだというのなら、彼ら欧米諸国こそ、遥かに悪質で明確なる侵略者として処罰されるべき存在でした。

また、仮に戦勝国が近代法の原則や自らの暗い過去の犯罪事実などは無視して恥知らずに日本を「平和に対する罪」を訴因として訴えたことを有効だとしても、日本の戦争が侵略戦争だとばかりは言えないでしょう。東京裁判で裁かれる対象とされたのは満州事変以降、大東亜戦争終結までの期間ですが、この間の戦争の中で明らかに1937年の日支事変は当時日本とシナの間で正式に結ばれた国際条約で保障されていたシナ国内における日本の正当な権益に対してシナ軍が先制攻撃を仕掛けたことによって始まっているので日本の侵略戦争ではありません。
これは喩えて言えば、在日米軍基地に自衛隊がいきなりミサイルを撃ち込むようなもので、これでアメリカが怒って日本を攻撃してもそれはアメリカによる侵略戦争にはならないでしょう。まぁ在日米軍基地の存在自体が日本に対する侵略だという考え方もあるでしょうし、そういう考え方にも一理はあるでしょう。しかし、それでも国際法上は条約で決まっていることが優先されるのであり、決して日本側の条約違反行為が正当化されることはありません。これが日本による侵略行為にあたるかどうかは微妙ですが、少なくともこれがアメリカによる侵略戦争と見なされることはありません。日支事変における日本とシナの関係も全く同じです。これが日本による侵略戦争と見なされることは絶対にないのが国際的には常識のはずです。ただ、シナ軍の攻撃を撃退した後、退却するシナ軍を追って戦線を拡大したのは日本政府の過剰防衛だったとは思いますので、まぁお互い様というところでしょう。
1931年の満州事変にしても最初に満州における国際協約で認められた日本の正当な権益がシナ側の約束違反によって暴力的に侵害されたことに端を発しており、これも一概に日本の侵略とは言えないでしょう。だいいち満州事変は既に日本とシナの間で停戦協定が結ばれており、今さら東京裁判で侵略戦争だとして裁かれる謂れはありません。またソ連は何故か1939年のノモンハン事件を日本による侵略戦争として訴えましたが、これは満州国とモンゴルとの国境線を巡る紛争に日ソ両軍が加勢した事件で、満州国側にソ連軍が押しこんだ形で停戦協定が結ばれ、モンゴル側の主張する国境線のほうが確定して既に決着がついている問題で、どう見ても日本による侵略ではありません。これらは結局は1945年の終戦時に日ソ中立条約を違反してソ連軍が満州から北朝鮮まで蹂躙した明らかな侵略行為を誤魔化すためにソ連が無理に持ち出してきた事案でした。

そうした中で、確かに1941年の大東亜戦争の開戦に関しては日本による侵略行為であったことは事実です。いくら経済封鎖されていたからといって、軍事的に何ら攻撃されていたわけではないのですから、いきなり真珠湾を攻撃し、東南アジアの欧米植民地に侵攻したのは確かに日本による侵略でしょう。
しかし裁判においては犯罪の動機や背景というものが解明されねばなりません。だからこの1941年の日本による侵略を犯罪として裁くというのならその背景を解明しなくてはいけなくなります。その大東亜戦争の開戦の背景はアメリカ主導の対日経済封鎖で日本が極度に圧迫されていたことです。そしてその経済封鎖は日支事変が日本による侵略戦争だということを前提として実施されました。しかし実際は日支事変はシナ側の侵略行為によって始まっています。
いや日支事変は日本も過剰防衛だったんじゃないかという意見もあるかもしれませんが、ならば大東亜戦争のアメリカもまた過剰防衛であり、日支事変によって日本が侵略者となるというのなら、大東亜戦争の結果日本を占領して東京裁判を仕切っているアメリカ軍もまた同様に侵略者として裁かれねばなりません。そうでないというのなら過剰防衛は侵略ではないということですから、そうなると日本の侵略を裁くというのなら少なくともシナによる当時日本が正当なる条約によってシナにおいて保有していた権益に対する侵略行為を不問とするのは片手落ちではないかという批判が出てきます。
シナによる侵略行為が問題視されるとなると罪が相殺されてしまうので日本を一方的に裁けなくなってしまいます。日本が一方的に悪かったということにするのがこの裁判の目的ですから、そうなっては困るのです。だから事実など無視して何がなんでも日支事変も日本による侵略だとしなければいけなくなります。

そこで戦勝国は「日本は一貫してアジア侵略の意図を持っていた」ということを主張しました。状況証拠が足りない分を動機で補おうというわけです。日本による侵略意図が明白であった以上、シナ側がそれに過剰反応して軍事行動を先に起こしたとしても、それは侵略にはあたらないということです。やや苦しい言い訳ではありますが、本当に日本による侵略意図が明白であったのなら、シナ側にも同情の余地はあります。しかし日支事変の時点で日本がシナを侵略しようとしていたという明白な証拠など存在していませんでした。
そこで戦勝国側は当時連合国側で流布していた田中上奏文という、日本による世界征服計画を記したという文書を持ち出して、日支事変の際に日本がシナを侵略しようとしていたのは明白であると主張しました。
田中上奏文というのは、1927年に当時の日本首相の田中義一が昭和天皇に対して極秘に提出した上奏文とされており、その内容は日本による世界征服計画書で、「明治天皇は日本による世界征服を実現するためにまずシナ征服を企図し、その第一段階の台湾侵略、第二段階の朝鮮侵略まで成し遂げた。それに続く第三段階が満州侵略なのであり、満州を征服すれば次はシナを征服できる。明治天皇の遺訓を実現するためには現在(1927年)は第三段階の満州侵略を実行すべき時である」という現状認識のもと、満州侵略計画が詳細に記されているものとされていました。
「されていました」ということは実際はそうではなかったということで、この田中上奏文は1928年あたりからシナにおいて出回るようになっていたのですが、そのオリジナルのものには日本による満州侵略計画の部分しかなく、その前段の世界征服云々の部分はありませんでした。と言っても、このオリジナルのものに関しても、実際には田中首相はそんな上奏などしておりませんし、この上奏文を作成したとされる1927年の会議(おそらく1927年の東方会議)に既に故人となっていた山縣有朋が参加しているなど虚偽内容がかなり多く、最初から反日宣伝用の偽書であったことは間違いありません。
ただ満州領有計画がかなり詳細に記されていることや、その後1931年にこの計画に似たような経過で実際に満州事変が起きたことなども考え併せると、おそらく東方会議において決定された満州における強硬姿勢に基づいて、陸軍内の何らかのグループ(後に満州事変を起こしたグループに繋がりがあると推測される)で作成された満州における権益を守るために武力行使する場合の作戦計画試案が何らかの事情で流出し、それを基にシナ国民党宣伝部が首相から天皇への上奏文の形式に作り変えたものでしょう。

この田中上奏文がシナで流布され始めた当時は日本政府も一笑に付して偽書であると主張していましたが、その後、これに書いてある内容と似たような内容の満州事変が実際に起きると日本政府も驚き、これは日本軍の内部文書が流出したものが悪用されたのだろうと気付いたという次第でした。
この満州事変によって田中上奏文は国際的に有名になってしまい、日本政府はこれが偽書であることを何度も説明したのですが、欧米のシナ擁護派のジャーナリストらは、「この文書自体は偽書であったとしても日本政府内にこういう考え方があるのは事実だ」と強弁しました。まぁ確かに満州事変(現地軍の暴走だったのだが)という事実がある以上、そうした意見には説得力はありました。それで満州事変後は田中上奏文は「偽書の疑いは濃厚だが書いてある内容には真実もある」という評価が定着しました。
それがその後、1937年に日支事変が起きてからシナ贔屓の英米などで反日感情が拡大していき、この田中上奏文が反日プロパガンダに多く利用されるようになり、そうした中で世界征服計画云々の部分が挿入されるようになっていったようです。
ここにおいて提示されている見方は、日本の近代史が丸ごと世界征服のための侵略の歴史であるということと、台湾と朝鮮と満州は日本が不当に侵略した領土であるということです。ここには、日本を打ち負かした暁には台湾と朝鮮と満州を奪い取ってやろうという、カイロやヤルタで示された意図が秘められています。
もちろんオリジナルの田中上奏文からして偽書なのですから、こんな二次的文書の類は全部何の根拠も無いプロパガンダに過ぎませんが、オリジナルに関して「書いてある内容には真実もある」という評価がありますから、二次的文書に加えられた世界征服云々の部分についても、その内容は真実であると英米の言論界などでは信じられていました。
そうした空気が英米言論界で支配的なまま終戦となり東京裁判が始まるにあたって、戦勝国側は当然、この田中上奏文を根拠に「日本がシナを侵略しようとしていたことは明白だ」と主張したのでした。しかしオリジナル(これもまぁ偽書なのだが)の田中上奏文を根拠に主張できることはせいぜい「日本が満州を領有しようとしていた疑いが強い」という程度のことであり、これはこの文書が作成されたとされる1927年の10年後に起きた日支事変の時点で日本がシナへの侵略意図をもっていたことの証拠にはなり得ませんでした。
よって、結局は戦勝国側もこの田中上奏文なるものを東京裁判において正式な証拠としては提出することは出来なかったのですが、それでも、何せいい加減な裁判であったので、この田中上奏文の二次的文書類を根拠とした「日本が世界征服を企んでいた」という妄想が何となく真実であるかのような空気に支配されて審理は進められていったのでした。

しかし、ここで百歩譲って、1927年時点で田中首相が日本による世界征服を企図してその手始めにシナ侵略を計画していたとして、その計画が1931年の満州事変、1937年の日支事変、1939年のノモンハン事件、1941年の大東亜戦争まで引き継がれていったということが立証されなければいけません。
ナチスドイツの場合は1933年の政権掌握から1945年の第三帝国崩壊まで一貫してヒトラー率いるナチスの高官達のナチス組織における共同謀議で戦争やユダヤ人迫害などが遂行されていましたので、その間に起きた戦争がナチスの一貫した計画に基づいたものだと立証することは容易でした。実際、このように共同謀議が立証出来なければ、個々の侵略的な軍事行動を一連の「侵略戦争」として、直接的に作戦に携わっていない軍や政府の高官を裁くことは出来なかったでしょう。よって、ニュルンベルク裁判ではこの共同謀議が立証出来たからこそ「平和に対する罪」という訴因が成立し得たのだといえます。
そこで戦勝国は東京裁判でも「平和に対する罪」を訴因として成立させるために、このニュルンベルク裁判でナチスに適用した共同謀議の理論を日本にも安易にあてはめたのでした。すなわち、1928年から1945年の日本の軍閥の指導者たちが世界征服のために一貫して共同謀議を行ったという歴史観でした。これが「東京裁判史観」というもので、それゆえこの期間内に起きた複数の戦争や事変を一連のものとしてまとめて「十五年戦争」などと呼称したりもするのです。
しかし、この17年間の日本では内閣が17回も変わり、その指導者たちは政党や派閥、陸軍、海軍、宮廷勢力などバラバラで、実際に東京裁判で被告となった政治家や軍人に限っても、それぞれが敵対していることも多く、顔を合わしたこともないということもしばしばで、まぁ要するに日本では御馴染の政争をひたすら繰り返すだらしのない政治の有様なのですが、これでは鉄の規律のナチスのように共同謀議など成立するはずがないのです。よって「東京裁判史観」は荒唐無稽の歴史観であり、東京裁判においては「平和に対する罪」は訴因として成立しないのです。これがニュルンベルク裁判と東京裁判の致命的相違点その1です。

こうして「通常の戦争犯罪」は相殺され、「平和に対する罪」は成立しないとなれば、それらを無理に押し通すためには、ニュルンベルク裁判同様、異常に不公平な法廷ルールで押し通すしかありません。そうしないと裁判自体成立しなくなってしまいます。しかし異常に不公平なルールが前面に出てしまえば裁判の正当性を失わせてしまいます。
そこでニュルンベルク裁判同様、ここで「人道に対する罪」の出番です。ニュルンベルク裁判のように、「ナチスによるユダヤ人絶滅計画」のような人類史上類例の無い凶悪犯罪を裁く「人類の法廷」ならば、日本に対して異常に不利なルールを適用して一方的なリンチのような裁判を行うことにも正当性は付与され、壮大なる「人類の法廷」としてショーアップすれば、このみすぼらしい東京裁判もかなり見栄えのするものになる可能性はありました。
いや別に「人道に対する罪」は冤罪でもデッチ上げでもいいのです。ニュルンベルク裁判のユダヤ人絶滅計画だってデッチ上げだったんですから。そもそも「人道に対する罪」なんて事後法もいいところなのですから、最初から法の原則など踏みにじっているのであり、こんなものを持ち出した時点でもうマトモな裁判ではないわけですから、単なる復讐イベントと割り切ってその醜悪さをエンターテインメントとして楽しめばいいのです。むしろ理不尽なデッチ上げのほうが野蛮なる憎悪と復讐のイベントとしての完成度は高くなり、観衆の劣情を刺激することでしょう。
ところが、東京裁判ではこの「人道に対する罪」は訴因に含まれませんでした。これがニュルンベルク裁判と東京裁判の致命的相違点その2です。日本の場合、ナチスによるユダヤ人絶滅政策に匹敵するようなインパクトのある犯罪が見つからなかったのです。
いやナチスのユダヤ人絶滅政策だって捏造だったのですから、同じように捏造してもよかったはずです。しかしナチスの場合、さすがにガス室や600万人殺害などの荒唐無稽はともかくとして、ユダヤ人を捕まえて強制収容所にぶち込んで強制労働させて50万人以上を死亡させたのは事実なのですから、こうした絶滅計画や毒ガス大量殺人などの捏造をされるだけの下地はあったわけだし、捏造した出鱈目にもそれなりのリアリティがあったのだといえます。ある程度のリアリティがあるからエンターテインメントとして楽しめたのです。
しかし日本の場合、ナチスがユダヤ人に対して実際に行った程度の非人道的行為も無かったので、無理に誇大な非人道的行為を捏造したとしてもリアリティのあるものになる見込みが無かったのでした。あまりにリアリティに欠けた嘘は観ていて白けてしまいます。それでも無理押しすればそれはそれなりに面白いものになったかもしれませんが、まぁ要するに度胸が足りなかったのでしょう。笑われて恥をかくのがイヤだったのでしょう。東京裁判の関係者はニュルンベルク裁判の関係者よりもいくらか羞恥心というものを知っていたのかもしれませんが、羞恥心があるならこんな裁判はそもそもやらないはずですから、やはり単に度胸が無かっただけでしょう。
こんな裁判をやる時点で法の番人としてはそもそも問題外ですからそれはまぁいいとして、ここで問われるべきはエンターティナーとしての資質なのですが、こんな度胸無しではエンターティナーとして失格です。田中上奏文のような面白文書を却下してしまった時点でドラマ性というものを放棄してしまっているのですから間違っています。
思えばニュルンベルク裁判はソ連が一定の主導権を握っていたから、あそこまで面白いものになったのかもしれません。ソ連は法治主義などというものに一切の価値を認めていない社会でしたから、あそこまで大胆に法治主義を踏みにじって嘘八百のユダヤ人絶滅計画などを正当な証拠としても平気でいられたのでしょう。
その点、東京裁判はアメリカ主導で、アメリカ人は自分達の社会に適用する分には法治主義を重視する人達なので、ついつい東京裁判においても法治主義を完全に踏みにじることに躊躇してしまったのでしょう。しかし、こんな裁判をやる時点で法治主義とは無縁の存在に堕しており、別に少し法治主義にこだわったところでどうせ歴史に汚名を残すことは免れないのですから、そんなに法治主義にこだわる必要など無かったのです。思い切って、日本国内に朝鮮人絶滅収容所があって600万人の朝鮮人が毒ガスで殺されたなどという与太話でもデッチ上げれば良かったのです。しかし彼らにそんな度胸は無く、おかげで東京裁判は裁判としてはもちろんのこととして、政治ショーとしても何ら価値の無いものとなってしまいました。

いや、何もマッカーサーら東京裁判の直接の関係者ら、すなわち占領軍当局が特別に臆病であったというわけではないでしょう。誤字脱字だらけの日本国憲法を1週間で書き上げて恥じない程度に思慮に欠けた人達でありましたから、彼らにさほど繊細に法治主義にこだわる感性があったとは思えません。そもそも法律など全く知らないのではないかとも思われます。
彼らはフィリピンで日本軍に惨めに敗れて追い出され、その後復讐のためにニューギニアやフィリピンで日本軍と血みどろの戦いを続けて、日本軍を殺しまくり、また多くの戦友が日本軍に殺されてきた人達なのです。明確に復讐のためにどんな不正なことでもやるくらいの決意は持っていました。
また、本国から奇特にも日本占領行政のために志願してやって来た若い軍事官僚たちや軍属たちの多くは共産主義者でソ連のスパイでありましたから、彼らの心の祖国の流儀に則り、法治主義を叩き壊すことにはむしろ快感を感じるはずでありました。だから占領軍に任せきっていれば、奇想天外な日本の「人道に対する罪」を裁く珍妙な「人類の法廷」という政治ショーを東京でも堪能することが出来たはずなのです。
しかし、そのようにはならなかったのは、アメリカ本国政府の意向で「人道に対する罪」について東京裁判で触れないようにお達しがあったからでしょう。何故なのかというと、現職のアメリカ合衆国大統領トルーマンその人が日本人に対して「人道に対する罪」を明白に犯していたので、東京裁判で「人道に対する罪」を追及することによって、現職大統領の犯罪が蒸し返されることを恐れたからなのでしょう。
そのトルーマンの明白なる「人道に対する罪」とは他でもない、広島と長崎の罪もない多くの民間人の頭上に予告も無しに原子爆弾を投下して30万人の生命を奪ったというもので、文句のつけようがない史上類例の無い凶悪犯罪でありましたが、不公平で鳴る「人類の法廷」でありますから、おそらく戦勝国の大統領が被告席に座らされるような野暮なことにはならないでしょう。しかし、世界の注目する復讐裁判ショーの場で何度もアメリカ大統領の残酷犯罪が話題に上るだけでも、生まれたばかりの新世界秩序の前途を不吉なものとするという心遣いが働いたものと推察されます。

それだけでは安心出来なかったのか、新世界秩序のサポーターの皆さんは、とにかく原子爆弾の話が東京裁判の場で話題に上らないようにしようとしました。どうやら原子爆弾による「人道に対する罪」の話はトルーマン大統領にとっては何時の間にか触れてほしくないトラウマになってしまったようで、広島に原爆を投下した翌日には世紀の新兵器の戦果に興奮して喜色満面であったのが数カ月の間に嘘のようになってしまっていました。おそらく広島や長崎の被害状況の克明な調査結果が届いて、急に世間の評判が怖くなってしまったのでしょう。あるいは「そこまで酷いことになるとは思っていなかったんです」などと言い訳した挙句、神に叱られる悪夢でも見たのかもしれません。
そうした大統領の心労を慮ってか、日本占領軍の言論統制チームは、配下の日本マスコミやエセ学者、秘密検閲官らをフル稼働させて、軍国主義擁護の言論や朝鮮人批判の言論、日本国憲法に関する批判の言論などと同じように、この米軍の素晴らしい超兵器がいかに軍閥の手下の猿どもを効率的に焼き殺したかという本来は英雄的な噂話まで徹底的に規制し禁止してしまったのでした。
また、なんとか原爆の30万人虐殺の罪を隠蔽するために1937年12月に25万人が居住するシナの首都の南京で日本軍がシナ民間人を30万人虐殺したという荒唐無稽なシナ政府の嘘宣伝をそのまま法廷に持ち込んで、結局はあまりのいい加減さに立証出来ず恥を掻くなど、いろいろ涙ぐましい努力が行われました。
そんな有様ですから、占領軍が仕切る東京裁判の法廷においても原爆の話題はタブーで、原爆の「げ」の字も出てこないように細心の注意が払われ、その方針を徹底するために、日本の法曹関係者の関与を一切排除するという異常事態となったのでした。
ニュルンベルク裁判においてはドイツの法曹関係者の多くが裁判全体にわたって協力しました。ナチスを裁く裁判に賛同していたという事情もあったのでしょうし、あんな酷い裁判になるとは予想していなかったという事情もあるのでしょうけれど、基本的には法律家としての職業意識において敵味方の区別や裁判の出来不出来は度外視して、とにかく法の執行において何らかの協力をしたいという国籍や立場を超えた使命感によるものであったろうと思われます。まぁそういう純粋な使命感に後ろ脚で泥をかけたのがニュルンベルク裁判であったわけですが、それでも彼らの存在がいくらかニュルンベルク裁判の公平性や権威を見た目の上だけでも救済する効果があったのは確かです。
法律家としての職業意識ならば日本の法曹関係者もドイツの法曹関係者と同じようなものであったはずです。何せ、もともと日本の近代法学というのはドイツ近代法学を模倣して発展してきたものだからです。だから日本の法曹関係者も東京裁判には協力するつもりであったし、彼らを引きこめば、この茶番のような裁判でもそれなりの格好はついた可能性があったのですが、占領軍当局は彼らの協力を拒んでしまいました。彼らが空気を読まずに原子爆弾の話題を出して話がややこしくなるのを恐れたのです。これがニュルンベルク裁判と東京裁判の致命的相違点その3です。これによって東京裁判はそのもともと微弱だった公平性を最後のギリギリの一線で保つ命綱を自ら断ち切り、裁判と名乗る資格を全面的に喪失してしまいました。

このように「人道に対する罪」が訴因にならなかったことによって、この東京裁判の不条理かつ不公平な異常ルールはその存在正当性を失い、東京裁判は単なる不公平極まりない異常裁判となり、政治ショーとしても陳腐なものとなってしまいました。そして日本の法曹関係者の参加を拒んだことでもって、完全に日本人を裁く裁判としては失格となりました。
こうなったら、せめて復讐の政治ショーとしてエンターテインメント性溢れるものとして、司法的には無意味でも政治的には何らかの意義のあるものを生み出すという道のみが残されていました。ニュルンベルク裁判がまさにそうだったのであり、すなわち、ナチスという巨悪をムチャクチャな方法でもなんでもいいからとにかく叩き潰す復讐の場として、裁くべき者が裁かれるべき者に出来るだけ重い罪で出来るだけ重い刑罰を与えるというカタルシスがあれば、それはそれで政治ショーとして上出来となるのです。
東京裁判が政治ショーとして陳腐極まりないものになってしまっていたのは、このカタルシスが不足していたからでした。訴因に派手な目玉となる「人道に対する罪」を欠いていたのが痛いところでしたが、これがダメなら「平和に対する罪」のほうで、もう偽書でもなんでもいいから田中上奏文を持ち出して「日本による世界征服計画」でもって日本を裁くという派手な訴因を中心に据えれば、政治ショーとしてはなかなか良いものになります。もともとまともな裁判じゃないのですから、もう偽書であることなど気にしなくてもいいでしょう。ナチスのユダヤ人絶滅計画だって出鱈目だったのですが、それでもちゃんと政治ショーを成立させることが出来たのですから、田中上奏文だって政治ショーの材料としてなら十分使えます。何故なら、ユダヤ人絶滅計画と同じく田中上奏文も戦時中から連合国側の人々にとっては戦時プロパガンダによって耳慣れていたので、十分にリアリティはあったからです。
しかし田中上奏文の世界征服計画の場合、17年間で17回も内閣の変わった日本において共同謀議が成立しないことが一番のネックでした。しかし、よく考えれば共同謀議にそんなにこだわる必要など無いのです。田中上奏文を奏上したとされる側の田中義一は奏上(?)の翌年には死んでいますが、奏上を受けた(?)とされる昭和天皇はその後も存命で、終戦まで引き続き日本の最高権力者の座に君臨し続け、東京裁判時点でも全く健在であったのですから、昭和天皇を市ヶ谷の法廷にしょっぴいてきて尋問すれば、日本による世界征服計画の全容は明らかになるはずでした。
なにも共同謀議など立証しなくても、17年間のどの局面においても昭和天皇が日本のトップに君臨していたわけですから、世界征服計画の罪だって昭和天皇一人を裁けば十分であったはずです。例えばニュルンベルク裁判だってナチスドイツの最高権力者ヒトラーが生きて捕えられていれば「ヒトラーを裁く裁判」という扱いになったはずです。残念ながらヒトラーは自殺していたのでニュルンベルク裁判ではそれは実現しませんでしたが、日本の最高権力者である昭和天皇は生きているわけですから、東京裁判は本来は「天皇を裁く裁判」となるべきであったのです。
いや、立憲君主制の日本においての天皇には政治的責任は問えない云々の指摘はいちいち御尤も、重々承知のことですが、そもそも東京裁判などまともな裁判ではなく政治ショーに過ぎないわけですから、そんなまともな法学的な話をしても仕方ないのです。政治ショーとしてならば「天皇を裁く法廷」ほどセンセーショナルなものはなく、しかもその罪状が「世界征服計画」とくれば極上のエンターテインメントとなるでしょう。そもそもアメリカを筆頭に戦時中の連合国の世論においては天皇こそが日本における諸悪の元凶であり軍閥の親玉であると考えられていたはずです。東条だの板垣だのというのは所詮は小物に過ぎず、17年間の日本による世界征服計画の主導者は天皇であったはずだというのが当時の戦勝国の世論でした。だから、この裁判が日本の世界征服の企みに対する懲罰と復讐の政治ショーであるのならば、細かい法的根拠などはさて置いても、戦勝国民から見れば、とにかく天皇は「裁かれるべき者」であったのです。

ところが占領軍は、というよりアメリカ政府は、天皇を東京裁判の被告とすることはおろか、証人として出廷させることも避け、いやそれどころか天皇の話題を出すことさえ極力避けようとする姑息な対応に終始したのでした。それは日本の占領統治に昭和天皇の存在が不可欠であったので、下手に天皇を法廷に出して天皇が罪に問われたり天皇制度が廃止されたりするようなことになったら困るからでした。
だいたい天皇制度、すなわち国体の護持は日本政府との間の約束でしたから、その約束を守っている限りは日本政府も従順ですが、もし約束を破るようなことがあれば事態はどう転ぶか分からない状況でした。裏返せば、日本政府が従順に占領軍の方針を受け入れなければ天皇制度はどうなっても保証しないという状況でもあったわけで、日本政府とアメリカ政府の間にはお互い様の奇妙な共謀関係(但し圧倒的にアメリカ優位だが)が終戦時から成立していたといえます。
つまり、これは日米間の微妙な政治的問題で、まぁしかし占領中の日本には主権がありませんから実質的にはアメリカ占領行政の内部政治的な事情と言っていいでしょう。まぁハッキリ言って「人類の法廷」という理想的かつ壮大な試みに比べれば、取るに足りない下らない問題だといえます。
実際、ニュルンベルクでアメリカと共に「人類の法廷」を運営してナチスの悪党共を一網打尽にしたソ連やイギリスなどは、当然のごとく東京裁判でも天皇を被告席に立たせて裁きを受けさせる気が満々でした。ところがアメリカは「人類の法廷」における正義の実現よりも日本占領の内部政治的事情のほうを優先させたのでした。当然でしょう。「人類の法廷」など紛い物に過ぎず、そこに正義など存在しないことはアメリカが一番承知していたことであり、そんな絵空事よりもまずは日本統治を円滑に進めることが優先されるのは当たり前のことでした。
そもそもニュルンベルク裁判だってドイツ統治を円滑に進めるためにやった政治ショーに過ぎないのですから、東京裁判だって本当の目的は日本統治を円滑に進めるためです。その東京裁判で天皇を被告などにして日本統治が困難になったりしたらそれこそ本末転倒というものです。しかしソ連やイギリスなど日本の統治に直接関わっていない連中は天皇の有用性など日本の微妙な事情が分かっていないので、天皇を裁くなどというワケの分からない世論に媚びたようなことを言うわけです。アメリカ政府はそう考えました。ソ連やイギリスなどを排除して日本を単独統治したのはアメリカの勝手なのですから、こんなものは勝手な言い分に過ぎないとも思いますが、確かにこの時点ではアメリカの対日認識のほうが現実的ではありました。
そこでアメリカ政府は小五月蠅いソ連やイギリスの干渉を排除してアメリカの勝手な意思で東京裁判を運営して天皇起訴などという不測の事態が生じないようにするため、この裁判を日本駐在のアメリカ占領軍司令官マッカーサーの布告した極東国際軍事裁判所条例に基づいて行うということにしたのでした。

ニュルンベルク裁判は米英仏ソの4カ国の政府の代表が締結したロンドン協定に付属していた条例に基づいて行われました。つまり一応は国際条約に基づいており、国際法にも基づいているということになります。それであの内容なのですから国際法が聞いて呆れてしまいますが、それでも一応形だけは「人類の法廷」の体裁は整えられていました。
しかし東京裁判はアメリカが天皇問題を裁判で扱いたくないがために他国を極力運営から排除する方針をとり、かといってアメリカ政府だけが単独で行動すれば文句が出るのは目に見えているので、政府ではなく占領軍当局が主体となって進める形式をとり、そのため裁判の根拠法もマッカーサー占領軍司令官の布告する条例としました。つまり東京裁判は国際法には基づいておらず、まさに占領軍によって行われる純粋なる「特別軍事法廷」となったのであり、占領軍政下でのみ有効な裁判となってしまったのでした。これがニュルンベルク裁判と東京裁判の致命的相違点その4です。
ここにおいて東京裁判は「人類の法廷」でもなんでもなく、単なる「アメリカの法廷」、いや、それにすら達しない「GHQの法廷」に堕してしまったのです。もちろん本来裁かれるべきトルーマンの原爆犯罪を隠したこの裁判が裁判としては無価値であるのは言うまでもありませんが、この措置によって東京裁判は「復讐の政治ショー」としても最低のものとなりました。本来このショーにおいて最も復讐されるべき者であるはずの天皇を不問とするために政治的術策を弄して、そのために復讐すべき者であるアメリカ政府以外の他国の政府やアメリカも含む「人類」を排除したこのイベントは、もはや「人類の法廷」という名の「政治ショー」にも値せず、そこには現実的で陳腐な「政治」がだらしなく存在しているのみとなったのでした。
こうして東京裁判は単なるGHQの占領行政の一つの手続きに過ぎなくなり、その判決には法律的な権威も政治ショーとしての説得力も無くなり、ただ淡々と退屈な与太話が繰り返される虚偽の支配する場となりました。それは、単にその場で虚言ばかりが繰り返されているという意味だけではなく、そこには本来いるべき者がおらず、本来裁かれるべき罪も裁かれず、空虚な偽物ばかりが存在していたという意味であります。
存在していたのは政治的都合や野合、談合そのものと、生贄として連れてこられた被告たちですが、この被告たちからして占領が円滑に遂行されることを願って占領軍や自分を裏切った日本政府に対しても野合してしまって天皇や原爆を隠すことに暗黙の同意をしてしまっており、既に死を覚悟して達観してしまっていました。
彼らが死刑に値するというのならそれでもいいでしょうが、ハッキリ言って冤罪もいいところなのですからもう少し戦う姿勢を見せなければいけません。しかし所詮は正論など通らない法廷だと、言わば最初からこの法廷は被告にすら舐められているわけで、被告までもが考えていることは政治ばかり。これでは馴れ合いのようなもので、裁判としての真剣味は無く、ニュルンベルクで見られたようなスリリングな空気は全く存在しませんでした。ここでは何かが裁かれたということはなく、原爆と天皇を裁かないように全員で周到に申し合わせたしょぼい談合の場に過ぎませんでした。

とにかくアメリカ政府としては原爆投下の罪で告発されることは避けたいのであり、日本政府としては天皇訴追によって国体が揺らぐことは避けたいのであり、日米両政府はこのくだらない談合法廷を維持することで利害が一致しており、日米両政府の共謀で大いなる退屈な法廷劇が世界に向けて提供され続けることになり、最後には1948年12月に侵略戦争の共同謀議の罪という完全なる冤罪で生贄として東条英機ら7名の被告を絞首刑とし、他にも終身刑、禁固刑を合わせて合計25名の被告が有罪となり、日米両政府はこの判決を支持しました。これで原爆も天皇も裁かれることはなくなったのですから一安心というわけです。
こんな有様でしたから、日本国民としてもこの東京裁判には何の権威も正当性も認めてはいませんでした。日本国民はこの裁判を支持していたなどという説もありますが、これこそ東京裁判判決も顔負けの冤罪、濡れ衣というもので、現在の日本国民ならいざ知らず、当時のリアルタイムで現実の歴史を知っていた日本国民がこの裁判の中で言われていたような出鱈目を受け入れるのは理性的生き物である人類として難しかったでしょう。
確かに戦時中は言論統制で正確な戦況は知らされていなかったとは思いますが、いくらなんでも世界征服とかシナ征服とか、リアリティが無さすぎで、ちょっと東京裁判の内容はぶっ飛びすぎていてついて行けなかったというのが実際のところでしょう。また、日本の都市という都市を焼き払って多くの女子供を殺した米軍への憎悪はまだまだ根強く、その米軍が自らの罪には知らんぷりをして聖人面をして仕切る裁判などに正当性を認める気分など、どう工夫しても沸いてこなかったことでしょう。
また、日本国民からこの裁判に反対する声が無かったなどと指摘する歴史家もいるようですが、呆れるほどの脳天気と言うべきでしょう。占領中の日本はナチスやソ連よりも厳しい言論統制下に置かれており、私的な手紙までくまなく検閲されていた時代で、東京裁判批判は最高度の禁止事項であり、もし誰かが書いたとしてもこっそり日記にでも書かない限りは確実に抹消されて他人の目には触れることはなかったはずです。
書いた本人が罰されないのは検閲が行われていること自体を秘密にするためであり、罰されないからといって言論統制が緩やかということはないのです。むしろ検閲体制そのものを秘密にして淫靡に言葉だけ狩っていくほうが言論統制としては効果的だといえます。そうした言論統制下で東京裁判批判の言論が後世の歴史家の目にとまる形で残されるはずもなく、こんな脳天気な論理では北朝鮮の民衆が言論統制下で独裁者の将軍様の悪口を言わないから北朝鮮では将軍様が好かれているというようなもので、洞察力に全く欠けた論理だといえましょう。
占領下の日本においては、まず圧倒的な軍事力を持つ米軍に打ち負かされて日本は武装解除されて逆らえず、その上、日本政府までも東京裁判を支持しており、徹底的な言論統制によって民衆同士の連携もとれない状態では、まず大抵の庶民はそこで巨大な権力を相手に一人で突っ張ろうなどと酔狂なことは考えたりしません。東京裁判の文句を言わなければ死ぬわけでもないわけですし、そもそも日々生きていくのに精一杯だった時代です。東京裁判で戦勝国が言ってることが無茶苦茶だと思っていたとしても、わざわざそれに異議申し立てなどするはずがないのです。自分の生活に関係無いわけですから。

だいたい、基本的に日本の庶民というのは権力者というものが嫌いで、今でも政治家などボロクソに叩かれることが多く、特に落ち目の政治家などは酷い叩かれ方をします。だから東京裁判で戦勝国の言っていることが支離滅裂だとは思っていても、そこで戦時中の権力者たちが叩かれていること自体には快哉を叫んでいる庶民が多かったと思われます。
それを卑しい根性だと批判するのは簡単ですが、当時の庶民の生活は戦災や物資不足などのせいで酷いことになっており、不満が燻っていました。かといって占領軍には逆らえないので他に鬱憤をぶつける相手を求めており、落ちぶれて法廷で責めたてられている被告たちは格好の鬱憤晴らしのスケープゴートになったことでしょう。
これは当時の閉塞状況の中に身を置いてみないと実感出来ないことです。現在的視点で卑しいなどと言っても仕方ないでしょう。当時は不満は山ほどあったにもかかわらず、あらゆることに対する批判は禁止されており、戦争犯罪人や旧日本軍に対する批判だけは奨励されていたのです。溜まりに溜まった鬱憤はそれらをスケープゴートにして噴出するしかなかったのです。まぁ現在のシナの反日みたいなもので、本音は政府批判なのだが言論統制があるので表現方法が反日となるというような、そういうのに似ているといえます。
それに、当時の日本国民は戦勝国が主張するような日本が侵略国家であったとか犯罪国家であったとかいう与太話は信じませんでしたが、とにかく戦争に負けたことに対して猛烈に憤慨しており、敗戦責任という意味でかつての権力者たちを殺したいほど憎んでいました。だから、その権力者たちを罰してくれる裁判という意味で単純に東京裁判を支持している人も多かったと思われます。これは決して東京裁判史観を支持しているという意味ではなく、単に日本を敗戦に導いた責任者が罰を受けるのを「ざまあ見ろ」と思っていたという程度のことです。
こういう人達はあえて東京裁判について文句は言いませんでした。それ以上難しい話には興味はありませんでしたし、面倒でした。ごく一部、やはりこの裁判はおかしいと思って声を上げようとした人もいたでしょうけれど、言論統制の壁に阻まれ、その醜悪さに呆れてもうどうでもよくなってしまった人が多かったことでしょう。日本国民が東京裁判に文句を言わなかったように見えるのは、こういう事情があったからです。
つまり、日本国民は東京裁判が終わった当時は決して東京裁判を支持していたわけではないのです。それが分かっているからこそ、占領軍は東京裁判批判を禁止し、日本国民がこぞって東京裁判を支持しているかのような嘘宣伝を繰り返して印象操作をしていたのです。マッカーサーが日本から離任する時に泣いて悲しがった人が多くいたなどという嘘宣伝と同じ類のレベルの低いプロパガンダです。こんなものは北朝鮮の将軍様マンセーのプロパガンダで見慣れているはずであろうに、同じことをかつて日本もやられていたということに思い至らず、嘘宣伝をそのまま信じて占領下の日本国民が東京裁判を支持していたと思い込んでしまうような人が歴史家にもいるとは全く嘆かわしいことです。どうして東京裁判を支持していたはずの日本国民の7割もが独立回復後すぐに署名に名を連ねて戦犯という名で収容されていた冤罪被害者らの釈放を求めたのか、歴史家ならばその歴史的事実でもって、占領時の言論統制下で日本国民がどういう本音を抱いていたのか想像する力が無ければいけないでしょう。

アメリカ政府もそうした日本国民の本音ぐらいは分かっており、だからこそ厳しい言論統制を敷いて東京裁判という既成事実を急いで作ってしまったのでした。当初アメリカは日本を20年くらいは占領するつもりでいたので、その長い占領期間中に占領軍の支配の下で言論統制下での洗脳プログラムを継続して東京裁判の判決を日本人の心にじわじわと定着させていって、東京裁判の判決を根拠にして時間をかけて原爆と天皇の罪を封印してしまおうとしていたのです。
マッカーサーは1951年に「日本人は12歳の子供」と発言しており、これは日本では人種差別主義者の彼の日本人侮蔑発言と解釈されることが多いようですが、確かにマッカーサーは人種差別主義者ですがこの発言は単なる侮蔑発言ではありません。かと言って、これもよく言われる「新生日本の民主主義を擁護した発言」というような好意的に解釈出来るようなものでもありません。これは前後の文脈をふまえて綺麗事や美辞麗句を排除してやや辛口に解釈すると、要するに「12歳の子供だから新世界秩序にとって都合の良い存在へと教育して変えていくことが容易」という意味です。マッカーサー率いる占領軍およびアメリカ政府にとっては当時の日本国民は洗脳教育の対象に過ぎず、特にその主要なターゲットは、まさに12歳以下の学童世代であったのでしょう。
マッカーサーら占領軍の面々の頭の中では「良いインディアンは死んだインディアン」というのと同じように「良い日本人は12歳以下の日本人」というような意識があったのかもしれません。大人の日本人は頑迷で占領軍の言いなりにはなかなかならないのであり、子供の日本人に学校教育やマスコミなどを使ってじわじわと洗脳していくことが図られていたのでしょう。そうやって成長した子供たちが社会の中核となった時代に日本は新世界秩序にとって従順な国家に生まれ変わるというわけです。

ところが、冷戦の始まりやら朝鮮戦争の勃発やら何やらあって、アメリカによる日本占領統治が東京裁判終了から3年も経たないうちに終わることになってしまったのでした。しかしそうなるとアメリカとしては困ってしまうのです。占領統治が終わるということは、占領軍の作った条例に基づいて行われた東京裁判の判決も無効になってしまうということで、しかも日本国民を縛っている言論統制体制も日本国民の洗脳が完成しないまま終わるということでもあり、もともと東京裁判のような裁判としても政治ショーとしても落第点の陳腐な政治的茶番などに何の権威も正当性も説得力も認めていない日本国民は東京裁判の判決などさっさと捨て去ってしまうことでしょう。
そうなると改めて日本国民によって大東亜戦争の戦争犯罪に関して訴訟を起こそうという動きや、東京裁判における冤罪の損害賠償を求める訴訟を起こしたりする動きも出てくる危険性がありました。特に恐ろしいのは、原爆投下の犯罪でトルーマン大統領を告発する動きが出てくることでした。
しかし、一方で占領統治の終わりによって東京裁判の判決が無効になるということは日本政府にとっても恐るべき事態でした。東京裁判の判決が無効になるということはアメリカなど連合国も大東亜戦争の戦争犯罪の解釈が自由になるということで、日本が原爆の犯罪を告発出来るようになるのと同様に、連合国側も天皇を戦争犯罪人として告発することが出来るということでもありました。占領期間中はそうした動きはアメリカ政府がストップをかけてくれていました。占領統治を円滑に進めるには天皇の存在が必要だったからです。しかし占領統治が終わればアメリカ政府は天皇の存在を特には必要としなくなります。だから東京裁判の判決が無効になればアメリカや他の連合国は天皇を告発するかもしれません。しかしそんなことになれば日本政府は現状の天皇を中心とした中央集権体制が揺らぐので困るのです。

つまり1951年の占領統治終了によって大東亜戦争の戦争犯罪を巡る問題は東京裁判以前の状態に戻ってしまったのです。日本側は原爆でトルーマンを告発出来るし、アメリカは天皇を戦争犯罪で告発出来る状態です。もし日本が原爆の罪でトルーマンを告発するようなことがあればアメリカも報復として天皇を戦争犯罪で告発するでしょうし、逆もまた然りです。
もちろん実力でも当時の価値観においてもアメリカが圧倒的に有利ではありましたが、新世界秩序が崩れ始めていた当時の情勢の中でアメリカの大統領が原爆投下という極めつけの戦争犯罪で告発されるという事態はそれだけで世界全体に巨大な影響を与える恐れがありました。1949年にソ連が最初の原爆実験に成功し、この頃は既に世界は核戦争の可能性を孕んだ時代に突入していました。そのような時に現職のアメリカ大統領の思わぬ大量虐殺者としての余罪がスポットライトを浴びるのはアメリカにとって避けたいことでした。一方、日本も主権を回復してこれから復興していこうという時、また共産主義の脅威に晒されている時期に、天皇の権威が揺らぐようなことは避けねばなりませんでした。
そういうわけで日米両政府の利害は一致し、共に講和条約を結んだ後も東京裁判の判決を護持していき、それ以外の大東亜戦争の戦争犯罪に関する解釈を一切排除して、天皇と原爆の問題に永久に蓋をし続けるという約束を結んだのでした。つまり占領中に自然に出来上がった野合というか共謀関係を講和後もそのまま継続していくことにしたのでした。
そしてそれをサンフランシスコ平和条約の条文の中に盛り込み、条約調印国すべてにもその約束を徹底させ、天皇と原爆の問題は今後は蒸し返さないという約束を結ばせたのでした。日米の同盟関係とは、東京裁判史観を維持して原爆と天皇を裁かないで利用し続けるという一点でかつての敵同士が野合した同盟関係という側面も持って出発したのだといえます。
そして、日本政府は日本が世界征服を企んでアジアを侵略したという荒唐無稽な東京裁判史観を順守していくことになり、アジアに謝罪をし続けていくようになったのでした。また、東京裁判史観に則って、誤った侵略戦争で死んだ兵士たちに謝罪して二度と戦争をしないという誓いをする毎年夏恒例の戦後平和教の式典を開いて新世界秩序への服従の意を世界に向けて示す、一種の服属儀礼をこなしていくようになったのでした。
また決して原爆投下についてアメリカを責めることはしないという立場上、原爆投下は侵略戦争を始めた日本の責任であるという倒錯した「あやまちは繰り返しません」の原爆慰霊碑にあるような公式見解を持つようになり、毎年、原爆記念式典を開いて、まるで日本政府が原爆を投下したかのように反省の意を表明し続ける、これも一種の服属儀礼を毎年夏に行うようになりました。これらの夏の風物詩となった服属儀礼が日本が東京裁判史観、すなわち東京裁判の判決を引き続き守り続けているという証なのです。

つまり、講和独立後も日本政府はアメリカによる日本間接統治の代官としての役割をそのまま継続し、アメリカの作った東京裁判史観という嘘で日本国民の本音に蓋をし続けることを使命とした機関であり続けたのだといえます。それは天皇制度を維持して、天皇を利用して連合国にとって都合の良い安定した日本を維持し、新世界秩序(結局はアメリカの国益という側面もある)の安定化に寄与することを主な目的とした機関でした。
戦後日本政府の特色として、日本の国益よりも新世界秩序への奉仕、国連(連合国)への貢献などを重視する傾向が強いというものがあります。それがいわゆる「国際主義」というものですが、日本の国益よりも国際貢献重視というやつです。新世界秩序とは恒久平和であり、日本の国益や安全保障を犠牲にしてもあくまで平和主義重視というのも新世界秩序重視と同義であります。
むしろ日本国民の本音というものこそが新世界秩序を不安定化させる要因であったのであり、日本政府は新世界秩序を守るために日本国民を潜在敵と見なして対峙し、日本国民の本音に蓋をして、日本国民を新世界秩序にとって都合の良い存在へと改造し誘導していくことを重大な使命としていたといえます。そのために占領軍が作り上げた言論統制システムを受け継ぎ、日本国民を騙して洗脳し、また新世界秩序にとって都合の悪い言論は検閲して抹消していくことになりました。また、占領軍が実施しようとしていた学校教育を使った日本の学童を対象とした洗脳プログラムを引き継いで実行し、新世界秩序の良民を育てていくことにもなりました。
なんてことはない、予想外に早かった占領統治の終わりによって、本来は占領軍が20年間ぐらいかけて行うはずだった任務を日本政府が受け継いだだけのことだったのです。そうして主権回復後20年ぐらい経った1970年頃には日本政府やマスコミや学会などの努力の甲斐もあって、すっかり日本国民も東京裁判の判決を心から受け入れてアジア諸国に謝罪をしまくるような、新世界秩序における最高の優等生、良民になっていたのでした。
このように、ニュルンベルク裁判というドイツで行われた裁判のフォーマットを無理に状況の違う日本にあてはめて行われた東京裁判において生じた歪みは、原爆と天皇を裁きの場から隔離し続けるために占領統治終了後においても日本政府が虚偽だらけの東京裁判史観を順守して、新世界秩序の安定化のために日本国民の健全な真実を求める傾向を言論統制によって弾圧するという倒錯をもたらしたのでした。戦後日本政府の何故か日本国や日本国民に対して冷淡で、外国や国際社会、国連などに対しての思い入れが過度に強い傾向というのは、このあたりに根本的原因があるのです。

ここまで見てきたポツダム会談でドイツの戦後処理に関して定められた方針である「敗戦国は国外派遣軍を引き揚げる」「敗戦国は不当に併合した領土を返還する」「国外在住の敗戦国人を本国へ送還する」「戦勝国は敗戦国およびその首都を分割して直接統治する」「敗戦国は非武装化される」「民衆と戦勝国を免責し敗戦国の統治階級を断罪するプロパガンダと言論統制を実施する」「戦勝国は敗戦国に対する戦争賠償の請求権を放棄する(在外資産没収は除く)」「戦勝国が敗戦国だけの戦争犯罪を裁く特別軍事裁判を実施する(人類史上稀に見る凶悪な犯罪を犯した敗戦国の人道に対する罪、平和に対する罪、通常戦争犯罪を裁くために特別なルールで運営される法廷)」などを日本の特殊事情も考慮せずにそのまま安易に戦後日本にも適用しようとしたことによって生じた弊害を、その結果だけ再びまとめていきます。
まず日本の降伏を無意味に遅らせてソ連の侵攻する時間的余裕を多く与えてしまい、アジアに共産主義が大いに浸透するきっかけとなり、アジアで何億もの人々が無残に殺される下地を作りました。
日本は米軍の単独統治で日本政府を介した間接統治となったため、分断国家化を免れましたが、憲法9条など厳格な非武装方針が主権回復後も貫かれることとなり、再軍備後も普通の国家として自立した軍事力を持つことが出来ず、自衛隊には様々な足枷が嵌められることとなり安全保障面で立ち遅れた状態が続くことになりました。そして軍閥悪玉史観が生まれたために軍隊に対する不信感が広がるようになり、健全な安全保障論議を制約するようになってしまいました。また、国際情報に疎く内向きな戦後日本人気質を作るきっかけにもなりました。
また、神道、特にその中でも国家神道が悪いイメージで見られるようになり、国家が宗教に関与することがタブーとされるようになったので宗教が一般から縁遠いものとなり、宗教についての無知が蔓延し、まともな宗教が衰退して日本人の精神が虚弱となり、怪しい邪教のような新興宗教がはびこるようになりました。
更に戦前の朝鮮人差別に関する虚偽の混じった誇張が広められ、朝鮮人に対する過度の優遇措置、それに伴う在日朝鮮人の無法行為を引き起こし、それらによる反発から戦後日本における在日朝鮮人への嫌悪感を生み出しました。また、それに対する対応として朝鮮人を擁護する言論界の傾向が生まれ、戦後ずっと維持拡大されていくこととなりました。
加えて、治安維持法に対するネガティブ・キャンパーンが行われ、共産主義活動に対するイメージ・アップが図られるようになり、戦後の共産党の躍進と左翼系文化人などの跋扈へと繋がっていくようになりました。
そして、日本の近代史が丸ごと侵略の歴史であるという珍妙な歴史観が発明され、それを基にして、アメリカの世界戦略に則ってのアジア諸国への贖罪を口実とした経済支援や利権ビジネスを正当化するために日本がアジア諸国に悪いことをしたという自虐史観プロパガンダが大いに展開されるようになり、これが日本における自虐意識や贖罪意識を生み出し、若者世代の精神荒廃に繋がっていきました。また贖罪外交の行き過ぎによって朝鮮半島や共産シナにおいて反日政策を生み出して反日感情を激化させることになったのでした。
こうした虚偽の歴史観や誤った占領方針などを正当化するためのプロパガンダや、それらへの批判を封殺するための徹底的な言論統制が占領軍によって行われるようになり、国民には秘密でマスコミ操作、検閲、焚書などが行われました。こうして国民を裏切って占領軍の手先となったマスコミ、言論人、学者、文化人などがアメリカ政府の指示を受けて新世界秩序の安定化のために日本国民や日本政府を監視したり騙して操ったりする秘密特権階級を構成するようになりました。またこの特権階級が作り上げた学会の定説に則って虚偽の内容が学校教育の中で教えられるようになり、歪んだ考え方の日本人が大量生産されるようになったのです。
更に「日本の軍閥が世界征服のために共同謀議して侵略戦争を起こした」という荒唐無稽な東京裁判史観が生まれ、天皇と原爆を不問にするために日米両政府が東京裁判史観を公式史観とすることで協定を結び、日本政府は日本国民が新世界秩序の決めたレールから踏み外して東京裁判史観を否定したり原爆の罪を告発したりしないように誘導したり監視したり真実を隠して騙したりする役目を担うようになりました。こうして戦後日本政府を構成したあらゆる与野党の政治家や官僚もアメリカ政府と繋がった秘密特権階級を構成するようになりましたが、マスコミや文化人らは政府に従属するのではなく、政府から独立してアメリカに直属して政府の裏切りを監視する役目も担いました。

いや、この秘密特権階級は政治家も官僚もマスコミ人士も言論人も学者も文化人も、それぞれがそれぞれを監視しつつ日本国民を支配して操り利用して、日本よりも新世界秩序の利益になるようにあらゆることを図ることに存在意義のある戦後日本の支配階級でありました。
占領軍は日本に乗り込むとすぐにこの新しい特権階級と手を組み、彼らの意向を受けて、「日本の民主改革」という名目で、既存の支配階級であった皇族、華族、軍人、財閥、地主階級や、新たな特権階級の人達にとって邪魔な人材などを全て公職追放や民主化改革などにかこつけて追い出し、その代わりに彼ら新特権階級を支配者の地位につけて、占領軍の日本間接統治の代官の役目を与えたのでした。この新特権階級は、敗戦によって支配階級にのし上がったという意味で「敗戦貴族」と呼んでいいでしょう。
戦後日本は現在に至るまで、この新世界秩序の忠実なる僕である「敗戦貴族」の血統や人脈の人士たちによって支配されており、彼ら「敗戦貴族」たちは互いに抗争し合い監視し合いつつ、天皇を象徴として祭り上げて中央集権体制と戦後民主主義体制を維持してそこから生まれる利権を貪るという点と、新世界秩序や連合国の利益のために日本国民をコントロールしていくという点では共闘していくことになりました。その新世界秩序が崩れ去ろうとしている現在、この「敗戦貴族」たちの存在意義は消滅しようとしており、その腐敗ぶりも頂点に達しており、彼らの支配体制も今や自壊寸前となっているのです。
それは政権交代などというような卑小な話ではなく、与野党問わず、政官問わず、マスコミも御用学者も知識人や文化人もひっくるめて、みんな同じ穴の狢の「敗戦貴族」なのですから、彼らの退場は支配層の交代という大きな枠組みの話なのであり、国家体制そのものが変わろうとしているのだと考えたほうがよいでしょう。
彼らの戦後体制については後ほど触れていくことになるでしょうけれど、まずここで彼らの支配体制を生み出していく過程で特に重要なキーワードとなったのが原爆と天皇であることは上記の文を見れば明らかでありましょう。その原爆と天皇の持つ意味の重大性が急速に認識されていったのがポツダム宣言の発表から原爆投下を経て終戦に至る一連の流れの中であり、ここで再びその時間の流れに記述を戻したいと思います。
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この記事に対するコメント

目から鱗です。

貴方のような頭のよい人が総理大臣になれば素晴らしいのになぁ

太郎より

【2009/03/15 02:00】 URL | 太郎 #- [ 編集]


大本は亜米利加が近代国家ではなかったということである。つまり中世の国と同じであったことである。
 近代の戦争には正義は無く、国際関係の問題を戦争で話をつけ、言うことを聞かせることであるが。亜米利加は其処に正義を持ち出し、さらに皆殺しの思想を背後に持っていたからである。それは亜米利加の成り立ちを考えればよい。
 近代国家は相手国の指導者を裁く事はしない。
いずれ亜米利加はその報いを受ける。

フィリピンで処刑された本間氏はお前たちも同じ運命をたどるだろうと、処刑される前に述べた。
 これに尽きる。
神がいれば将来合衆国大統領は処刑されるだろう。

【2009/03/18 14:40】 URL | kenji #YxYWc9S2 [ 編集]


>>kenji様
「同じ運命をたどるだろう」
なるほどそうかもしれません。
自らの仕出かしたことが未来において子孫の身に降りかかるということはあるかもしれませんね。
大東亜戦争末期において日本政府に降りかかった運命は、その先祖たる明治新政府によって明治維新期に会津藩など東北諸藩や新撰組など幕臣に降りかかった運命と酷似しています。
あれも自らを「官軍」という正義で偽装した明治新政府(薩長土肥ら)軍によって引き起こされた悲劇でした。

【2009/03/18 21:27】 URL | KN #- [ 編集]



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