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国民覚醒の兆候 第三部 人権擁護法案 第3話    人権委員会
人権擁護法案が韓国における親日反民族行為真相究明特別法のように恣意的な拡大解釈による暴走が懸念される根拠としては、まず第一にこの法案においては「人権」というものの定義がなされていないことがあります。
それも無理のないことで、上記のように「人権」とは元来定義不可能な概念だからです。法務省答弁によれば「人権の定義は人間に備わった権利として一定であり明らかである」となっていますが、これでは「人権は人権である」と定義しているに等しく、何も定義していないに等しいでしょう。
一方で法務省の担当者は「人権は人権という言葉を使わずに定義することが難しい。中身自体が拡大していく概念だ」と説明し、その定義は人権委員会の良識に委ねられることになると認めています。こちらのほうが正直な見解というべきでしょう。人権の定義は「一定」であったり「明らか」であったことなど一度としてないのです。

「人権」の定義がこのような有様であるのですから、当然、この法律で取り締まり対象となる「人権侵害」の定義も全く曖昧模糊としたものとなっています。法案条文においては「人権侵害とは不当な差別虐待その他の人権を侵害する行為」と定義されていますが、これでは「人権侵害とは人権を侵害する行為である」と言っているに等しく、これも何も定義していないに等しいでしょう。

ただ、この法案において「人権」や「人権侵害」についてまともに定義していないという点はそれほど問題とすべき点ではありません。それは仕方がないことなのです。「人権」や「人権侵害」というものはそもそも定義不可能な概念なのですから、それについてちゃんと定義していないこと自体は法案作成者の知的不誠実にはあたりません。
むしろ問題とすべきなのは、そうした定義不可能な概念の定義を人権委員会なる組織の良識とやらに丸投げしてしまい、その人権委員会という組織に、人権侵害を行った者に対して罰則まで与える強い権限を付与してしまっている点です。
これでは、人権委員会という組織がどれほど良識に溢れた組織であったとしても、必ずや「恣意的解釈によって強権を揮っている」という謗りを免れることは到底不可能でしょう。人権委員会をそのような苦境に追いやることが必至のこうした法案を作成するという態度は、あまりにも知的不誠実な態度であると言わざるをえません。
やはり、「人権」や「人権侵害」について法案において明確な定義が出来ないのならば、その定義を人権委員会などのような組織や個人に託すべきではないでしょう。それでは法治ではなく人治に繋がってしまいます。
確かにこの世界には明確に定義不可能な概念も多く存在し、そうしたものは人治の対象となるのも仕方ないのですが、人治はあくまで強制力の無い慣習法の段階に留めるべきであり、成文法によって人治システムを制度化してしまうのは非常に危険であり、「法の自殺」にも繋がりかねないといえるでしょう。

ましてや、そのような制度化された人治システムに強制力を伴った他者を罰する強大な権限を与えるなど言語道断であり、それでは「無法による恐怖支配」を正当化し、結果的には、憲法で保障されている国民一人一人の「言論、出版その他一切の表現の自由」まで侵害されかねないといえるでしょう。
また、元来からして人権侵害が定義不可能の概念であることに加えて、先述のこの法案における人権侵害の定義「不当な差別虐待その他の人権を侵害する行為」という文章における「その他」の部分の解釈次第では、あらゆることが人権侵害として認定され得るということにもなります。
また、法案においては実際に人権侵害が生じていない場合においても「差別を助長、誘発する行為」を禁じており、人権侵害の「予防」も出来るということになっていますが、これでは他者への批判的言辞をしただけで、「差別的発言であり、差別を助長、誘発した」と見なされて取り締まり対象とされる可能性もあります。これは言論表現の自由を規定した憲法21条違反の疑いが濃厚といえるでしょう。
もちろん憲法で定められた自由は全て公共の福祉による制限を受けるのですが、この人権擁護法案の場合のように人権侵害の定義が明らかでない場合、言論表現の自由を制限する要素が「公共の福祉」といえるものなのかどうか確定することも不可能なのであり、やはりこれは憲法21条違反と断定していいでしょう。
また、よくこの法案の推進者が言うのは「罰則などの強制力が無ければ人権侵害に対する抑止力として機能しない。だから仕方ないんだ」という台詞ですが、これも全くの詭弁です。
何故なら、これもまた人権侵害の定義が不明である以上、どのようなことでも人権侵害となり得ると同時に、どのようなことも人権侵害となり得ないのであり、そのような状態では自分の行為がこの法案に照らしたところの「人権侵害」であるという自覚も持てないのであり、自覚なきところに抑止力など生まれないのです。
むしろ、自覚なきところに強制力だけがあるという状態においては、「あなたの行為は人権侵害ですよ。人権委員会に訴えますよ。それが嫌なら示談金を寄越しなさい」などというような脅迫型の詐欺行為という新たな「人権侵害」が生じる危険もあるといえるでしょう。

このように拡大解釈の余地があまりにも大きい法案であるので、このような大きな拡大解釈の余地を全て法律で定義せずに人権委員会の良識とやらに全面的に委ねるのは非常に危険なことだと言わざるをえません。人権委員会もまた不完全なる人間の集団であり、代替わりもしていくのであるのですから、常に良識を保持し続けることが出来るのか定かではありません。
まぁ実際には不完全なる人間が強大な権力を握るのが人間社会の常であり、結局は権力の運用については権力者の良識にある程度は委ねなければならないのが常態であるのですが、だからこそ権力者の良識保持のための安全装置として、民主主義体制においては権力者の行動や地位について国民が介入する権利が保障されているのです。
ところが、この人権擁護法案における人権委員会という組織は、いわゆる3条委員会といって、法務省の外局として設置されることになっており、法務大臣の監督を受けない独立した権限を有しているのです。法務大臣を監督するのは総理大臣であり、総理大臣は国会議員によって選ばれます。国会議員を選ぶのは国民です。
このようにして国民のコントロールは法務大臣までは繋がっているのですが、法務大臣と人権委員会の間でそれは途絶え、人権委員会は国民のコントロール外の存在になっているのです。
もちろん他にも行政府の外局というものは存在しており、それらは皆、同様に国民のコントロールを外れていますから、その点だけにおいて人権委員会を責めるつもりはありませんが、人権委員会の場合は先述のように、「人権侵害」の定義を曖昧にしているという点で厳密には「法の支配」からも外れており、これらの条件によって「何者からも支配されない絶対権力化」していると言えます。
そしてその上に人権委員会には他の外局には無いような強大な権限も備わっています。また、人権委員会の委員には罷免の条件などの規定がなく、要するに国民は人権委員を任期途中で罷免することも出来ないのです。
こうなると人権委員会に「絶対権力になるな」と言うほうが無理というもので、必ず人権委員会は絶対権力化します。そうなると「絶対権力は必ず腐敗する」というのが政治学の定理であり、人権委員会が良識を保持し続けることは制度的に至難のこととなるでしょう。
このように、この法案に規定された人権委員会という組織は、制度的には良識を保持することが非常に困難なことになっており、非常に問題の多い組織であり、また非常に問題の多い法案であるともいえるでしょう。

人権擁護法案においては、人権侵害の定義解釈については人権委員会の良識に委ねられることになるのですが、その人権委員会の良識はこのように心許ない状況にあります。そうなりますと、そうした人権委員会が行使することになる強大な権限についても検証してみる必要があるでしょう。
人権委員会は人権侵害の事案に対して調査、勧告、調停、公表、提訴を行う他、特別救済手続きとして、関係者への出頭要請や事情聴取、関連箇所への立ち入り検査、捜索、関係資料などの押収を行うことも可能です。この特別救済手続きには裁判所の令状は不要であり、またこの手続を拒否すれば30万円以下の罰金も科されます。
念を押しておきますが、この30万円の罰金は人権侵害行為の代償として科されるものではなく、あくまで「人権侵害があったのかどうか」について調査するための特別救済手続きに協力しなかったことへの罰則として科されるのであって、そうした調査の結果、人権侵害と認定された場合には改めて勧告や調停の名のもとに代償を払わされたり、制裁を受けることになるのです。
もちろん30万円の代償を払うことによって特別救済手続きを止めてもらえるわけではなく、立ち入り検査や捜索、押収は継続され、そこでまた「非協力的である」と判断されれば、さらに30万円の罰金を科されることになります。30万円といえば一般国民にとっては小さな金額ではない。このようにして特別救済手続きの過程で何度か30万円を毟り取られては一般国民はそれだけで参ってしまいます。
そして、そうした特別救済手続きによる捜査の結果、人権侵害の事案と認められなかった場合でも、特別救済手続きの過程で科された罰金は返還されないし、またその間に被疑者が蒙った社会的信用の失墜なども含めた有形無形の損害に対する救済措置も何ら講じられてはいません。これでは逆に人権委員会が人権侵害を行っていると見なされても仕方ないでしょう。
このようなことが罷り通るようでは、人権委員会が気に入らない人間を社会的に葬り去るために恣意的に人権侵害の事案を捏造して、特別救済手続きの権限を悪用してその人間のイメージを徹底的に悪化させた挙句、さんざん罰金を小遣い銭のように巻き上げてから「調査の結果、人権侵害ではなかった」と、後は頬かむりすることも可能ということになってしまいます。
このような特別救済手続きは、調査にかこつけた社会的制裁になり得るのであり、こうした社会的制裁が裁判所の令状無しで行えるというのは、憲法との関係に照らして大いに疑問のあるところです。憲法33、34、35条においては現行犯でもない場合に裁判所の令状無しで立ち入り検査や押収を行うことは禁止されているはずであり、この特別救済手続きというのは憲法違反の疑いが大いにあるのです。
そもそも人権侵害を定義する権限が人権委員会の「良識」に一任されている以上、特別救済手続きによる捜査や判断にどれほどの信頼性があるのかも甚だ疑問なのですが、それによって「人権侵害」と認定された場合に行われる勧告、調停、公表、提訴にも大いに問題点があります。
提訴は別として、他のものはこれもまた裁判所を通さずに社会的制裁を科すという行為に該当し、憲法違反の疑いがあるのです。公機関が公然とこのような憲法違反行為を行ってはいけないのです。
憲法においては司法権は裁判所のみに属すると規定されているのであって、それ以外の機関が司法権限を行使することはあってはならない。しかしこの人権委員会は法務省の外局として設置されるために司法権能を有することになり、それが憲法と矛盾する虞があります。
日本にはちゃんと司法制度があるのですから、その拡充を図ることで人権侵害に対処するほうが正しいのではないでしょうか。わざわざ別に人権委員会などという組織を作るのは不自然だといえます。だいいち三権分立に反するのではないでしょうか。
また、提訴の場合も、裁判所の判断によって最終的には人権侵害ではなかったと判定された場合に被疑者がどのように救済されるのかについて明確な規定が無いという意味でも、非常に無責任な法案であるといえます。
このような法案に則る限り、人権委員会は他者の信用を失墜させたことに対して何ら責任を負う必要が無い、一種の精神的な絶対的権力を有した暴力装置と断じざるを得ません。
また、人権委員会の行う調停や勧告の中には、差別を助長するような情報の散布や文書の頒布や提示を禁止する処置も含まれますが、これは事実上の発禁処分であり、これもまた憲法との整合性において大いに問題があります。
もちろん表現の自由も無制限のものではなく公共の福祉に反してはならないのは言うまでもありませんが、「人権」などという定義の曖昧な概念を理由としての表現の自由への侵害は到底許容できるものではありません。

このように、人権擁護法案に従う限り、人権委員会は強大な権力を揮うことが可能な機関なのですが、その「良識」の危うさについても再度検証してみる必要があるでしょう。
人権委員会の委員の資格としてはこの法案では「人権に対し高い見識を有し、法律または社会への学識経験を有するもの」から5人が任命されることになっていますが、こうした人物選考基準の場合、だいたい5人のうち2人ないし3人はいわゆる人権派の弁護士から選ばれる可能性が高いといえるでしょう。
しかしこの人権派弁護士というものが曲者で、特定のイデオロギー色に染まった主張をする人物が多いという傾向があるのです。
全国の弁護士会が出している人権侵害勧告の現状としては、「卒業式の国家斉唱を強制しないことを生徒に事前説明しなかったことは人権侵害」「等身大の人形を性教育に使用した教員が処分されたのは人権侵害」「朝鮮初中級学校の卒業生に中検試験を受験させるのは人権侵害」「音楽教師に君が代伴奏を強制したことは人権侵害」などのような事例が相次いでいます。
誤解の無いように断っておきますが、私は何も上記のような処分や強制などを殊更に奨励しているのではありません。各人のイデオロギーは尊重されるべきものでしょう。しかし一般国民の意識として、上記のような事例が「人権侵害」として殊更に騒ぎ立てるべきものとは到底思えないのです。上記のような些細な事例をイデオロギー色を剥き出しにして「人権侵害」と認定して騒ぎ立てる感覚は、健全な国民の常識からはかけ離れたものを感じざるをえないのです。
しかし、そうした一般国民とかけ離れた感覚を持った集団が弁護士会であり、そうした集団に属する弁護士から人権委員が選ばれて、人権擁護法案が成立すれば彼らの「良識」によって人権侵害が解釈定義されていくのです。人権侵害の恣意的な拡大解釈によって社会の混乱が生じることを憂慮しないほうが不自然というものでしょう。
このような弁護士会流の人権侵害の解釈の幅広さが許容されるのならば、もはやイデオロギーすら関係なく、個人のどのような恣意的な権利主張や欲求表示であろうとも、それに「人権」の名を冠しさえすれば「擁護」の対象となることにもなりかねません。「侵害」も「差別」も、それを感じた側がそれを声高に言い立てれば成立するということにもなります。
しかし元来はこうした法律は声を上げて訴える力の無い弱者を救済することに主眼を置くべきではないでしょうか。しかしこの人権擁護法案はそうではなく、声の大きな者が役得を得ることに使われかねません。
この法案によって人権委員に選ばれる弁護士会流の人権侵害の定義に沿った場合、現出するのは、世に恨みを抱く者、自己の不満を他人に転嫁して鬱憤を晴らそうとする者、被害を口実にして他者への攻撃を公権力に依頼しようとする者など、健康な国民の常識を以ってしては想像困難な、社会の底流に伏在する怨恨感情の正当化であり、その攻撃的情念を表層化させようという企みではないでしょうか。
このような社会秩序に対する破壊衝動がこの法案からはどうしても感じられるのです。それが杞憂であればそれに越したことはないのですが、上記のようなあまりにも幅広い人権侵害の定義を有している弁護士会などを中心とした人権委員会の「良識」とやらに対して危惧を抱くのは決して私だけではないはずです。
人権委員には弁護士だけではなく学識者なども選ばれるのでしょうが、人権問題を専門とする学者というものもイデオロギー的には弁護士会とほぼ同じようなものであり、上記のような弁護士会の勧告などにお墨付きを与えているのがそういう学識者なのですから、彼らはほとんど一体化していると見なしたほうがいいでしょう。
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