KNブログ


プロフィール

KN

Author:KN
気紛れにエントリ更新してしまいました。これからはのんびり気紛れなペースで、書き上がり次第に更新していきます。

メールアドレスはこちら
jinkenbira@yahoo.co.jp 

未来のために生きながらも、引き続き



ブログランキング

人気blogランキングへ



FC2カウンター



最近の記事



カテゴリー



リンク

このブログをリンクに追加する



最近のコメント



最近のトラックバック



月別アーカイブ



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



ブログ内検索



RSSフィード



スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


国民覚醒の兆候 第三部 人権擁護法案 第9話    問題点解消のアウトライン
さて、以上色々と述べてきましたが、だいたいこの法案の問題点を箇条書きすると、以下のような13項目になるでしょう。

・人権委員会の独立性が強く、暴走に対する歯止めが無い
・人権侵害の定義が曖昧で、恣意的解釈がなされる可能性がある
・人権委員会や人権擁護委員の権限が強すぎ、新たな人権侵害を引き起こしかねない
・人権委員や人権擁護委員の選任過程が不透明で人選に偏向が生じるのではないか
・人権委員や人権擁護委員の資格や協力団体に偏りがあり公平性に欠ける
・人権擁護委員に国籍条項が無く、国益を損なう恐れがある
・メディア規制条項があるため、報道の自由を損なう可能性がある
・この法案はそもそも憲法違反である
・この法案はそもそも不必要であって税金の無駄遣いである
・そもそも人権という概念は暴走の危険性があり、法案の制定は慎重でなければならない
・日本社会の人権感覚や人権運動自体に歪みがあるので、きっとこの法案は悪用される
・この法案を推進している勢力が、逆差別事案や行政教育現場の混乱を引き起こしている
・この法案は結局、役人や政治家、その他怪しげな人権活動家の利権にしかならない

そこで下記に、もし仮にこの人権擁護法案を修正してまともに使えるものにするためにはどのようにすればいいのか、上記13項目の問題点のそれぞれについて解消方法を考察してみます。

まず「人権委員会の独立性が強く、暴走に対する歯止めが無い」という問題点を解消するための、まず最も簡単な方法は、人権委員会を設置しなければいいのです。そもそも人権委員会など設置せずとも、裁判所の機能を強化、効率化して人権侵害の救済を行うようにすればいいのです。
そもそも人権委員会のような政府からの独立性の高い人権機関の設置を勧告したのは国連規約人権委員会ですが、あそこで対象とされていたのは、あくまで「政府によって行われる人権侵害の救済」であって、この人権擁護法案における人権委員会のように、ありとあらゆる人権侵害事案を取り扱う機関に対して「政府からの独立性」など、そもそも求めていないのです。
だから、そういう意味では、「政府によって行われる人権侵害の救済」に目的を限定した形での人権委員会ならば、政府からの独立性を担保した状態で設置することは許容してもいいのです。
しかし、私はそもそも、現在の日本において、こんな法案を作って人権委員会を設置せねばならないほどの「政府によって行われる人権侵害」というものが存在しているとは、どうしても思えないのです。もし無意味に人権委員会を設置するとしたら、税金の無駄遣いになります。
ですから、国連勧告が果たして現実を反映したものであるのか、もう一度精査する必要があるでしょう。仮に国連勧告が当時の現実を反映したものであったとしても、それはもう8年前のことであり、現時点の調査はやはり必要だと思います。
また、現時点で「政府によって行われる人権侵害」が存在したとしても、それに対処する方法として人権委員会の設置がベストの選択なのかどうかも検討されるべきでしょう。もっと簡便で効果的な方法が存在するかもしれないのです。国連はそこまで深く考えて勧告しているわけではないのですから、国連勧告に盲目的に従う必要は無いのです。

次に「人権侵害の定義が曖昧で、恣意的解釈がなされる可能性がある」という問題点を解消するためには、まず「人権侵害」という漠然とした概念を対象として広く救済措置を講じるという発想を捨てて、いわゆる「差別」や「人権侵害」と言われている個々の事案を具体的に示し、そのそれぞれに対してそれぞれをカバーする個別法の改正や制定をもって救済措置を講じるという発想に切り替えることが必要です。
もちろん、そのためには「差別」や「人権侵害」と言われているものの実態調査を綿密に実施して、その実態を具体的に把握する必要がありますが。
「人権侵害」という言葉でもって広く網をかけるようなことをするから、恣意的解釈によって濫用が生じ、混乱や新たな人権侵害が生じるのです。
「人権侵害」という言葉は定義不可能なのであって、定義不可能である故に恣意的解釈が生じるのです。
但し、「人権侵害」の具体例を列挙することは出来ます。これをもって定義がなされたと勘違いしている人もいますが、こういうのは定義とはいいません。定義とは的確な言葉で余すところなく置き換えることであり、具体例の列挙では常に取りこぼしや過剰の危険性が消えないという意味では、定義不可能の状態を脱していません。
但し、具体例の列挙は一歩前進であり、漠然とした状態を脱することによって、個別の事案に逐次的、対症療法的に対処していくことが出来るようになります。これでもまだ取りこぼしや過剰は存在しますが、それはいちいち問題が生じた場合に迅速に対処して新たな個別法の手当てを行っていくことで対処していけます。
非効率的なように見えますが、これが最も安全で確実な救済方法なのです。個別の事案が具体的に明確になっている以上、わざわざ普遍的な規定で処理するよりも、ケースバイケースに対応した処置を個別に講じるほうが、より的確な救済が可能なのであって、被救済者に対しても親切というものなのです。
個々の具体例がせっかく明らかになっているのに、包括法で処理しようとするほうが、却って官僚的であり、不親切ではないでしょうか。

次に「人権委員会や人権擁護委員の権限が強すぎ、新たな人権侵害を引き起こしかねない」という問題点を解消するためには、それぞれの個別法において、救済は今まで通りに裁判所が行い、人権委員会は設置せず、人権擁護委員の勧告も強制力を持たないということにすればいいのです。つまり制度的には基本的に今と同じということです。裁判所の機能強化などの措置は講じますが。
このようにすれば、人権委員会や人権擁護委員の権限の濫用によって新たな人権侵害が引き起こされることはありません。
但し、もし「政府によって行われる人権侵害の救済」のために人権委員会および人権擁護委員が設置されて機能する場合がもしあり得るようになれば、その場合のそれら機関の権限については考察しておく必要があります。
その場合、まず人権委員会の権限は「仲裁・調停」までに限定し、「教育・啓発」機能や「政策提言」機能は持たせてはいけません。
この場合、是正要求をする相手は政府機関に限定されているわけですから、「教育・啓発」は特に必要ないでしょう。また、「政策提言」機能を与えると人権委員会の権力が大きくなりすぎて、三権分立の原則に違反する国政機関へと変貌してしまう恐れがあります。これは明らかに憲法違反でしょう。
政府機関による人権侵害ならば、「仲裁・調停」だけで解決へ向けることは可能でありましょう。
もし政府機関が理不尽な理由で「仲裁・調停」に応じない場合は、日本は民主政治国家ですから、民意によってその政府機関に罰を与えることは可能です。それが抑止力となり、政府機関はそんなに理不尽な行動はとれないはずです。もしそうならないのだとしたなら、それは人権救済の個別法の問題ではなく、民意の反映しない日本の政治システムのほうに問題があるのですから、そちらを改善する努力をまずするのが筋というものでしょう。
そして、その「仲裁・調停」を行うための人権委員会の手続きとしては、任意性を基本とする「一般救済」に限定することを原則とすべきでしょう。
強制性を備えた「特別救済」は、それぞれの個別法においては原則として認められないということにしたほうがいいでしょう。このようにしなければ、人権委員会の権限が大きくなり過ぎて、行政や教育の現場での混乱が生じる恐れがあります。
また、「特別救済」を引き起こす可能性があるというだけで、人権侵害事案の告発をする人権擁護委員の影響力が大きくなってしまい、そのために無用のトラブルが各所で生じる可能性が高くなるのです。
人権擁護委員の職務を平穏なものとするためにも、人権委員会には「特別救済」は認められていないほうが望ましいのです。
但し、これはあくまでも原則であって、それぞれの個別法の中においては、例外的に「特別救済」の手続きが認められる事案も存在するということになるでしょう。例えば受刑者に対する人権侵害事案のように、密室性が高く隠蔽の恐れが高く、なおかつ迅速な救済が求められる事案については例外的に「特別救済」も認められるようにすべきでしょう。
また、これは政府による人権侵害ではないので人権委員会の担当事案ではありませんが、家庭内における児童や老人への虐待やDVの事案なども、密室性が高く隠蔽の恐れがあり迅速な救済が求められるという点では同じですので、裁判所の管轄において「特別救済」に類するような措置を執行するような機関を特別に設置し、それに対応した個別法を整備する必要はあるかもしれません。
ただ、受刑者に対する人権侵害や家庭内暴力に対する救済措置については現行法でかなり改善されていますので、更に屋上屋を架すような個別法が必要かどうかは慎重に考えたほうがいいでしょうが。

次に「人権委員や人権擁護委員の選任過程が不透明で人選に偏向が生じるのではないか」という問題点を根本的に解消するためには、人権委員も人権擁護委員も、普通選挙で選ぶか、あるいは有権者からランダムに選抜される方式にするか、そのどちらかにするしかありません。そうでない場合は、どうしても何らかの不透明性と偏向的印象というものは生じるのです。
つまり、この問題点は人間社会においては必ず生じる「業」のようなものなのですが、それが何故そんなに大問題視されることになるのかというと、その理由は2つあります。
1つは、上記3つの問題点が深刻であり、そのためにこの法案が大変危険な法案となっており、その危険な法案を運用する人権委員や人権擁護委員に不透明な手続きによって変な人物が就任することを危惧する心が大きいからです。つまり、この項目の問題点のほうは、上記3つの問題点が解消すれば一緒になって解消するということです。
しかし、それでもまだ問題点は残ります。それは、その不透明さや偏向の度合いが、一般社会の水準を超えて、あまりに露骨だからです。やはりそのあたりは是正しておかないといけないでしょう。
まず、選任過程の不透明さを解消するためには、人権委員の場合は首相が密室で決定するのではなく、例えば首相が用意した10人ほどの候補者を国会において投票で上位5人にまで絞り込んで、その5人を首相が任命するなどという方法も考えられます。
こうすれば「オープンな議論の場で決定された」ということも出来ますし、最初の選考の段階で変な人物が紛れ込んでいても国会議員の良識で落とすことも出来ます。上位5人まで選ぶのですから、少数会派の意見もある程度反映されます。落とされるのはよほど変な人物だけです。
また、人権擁護委員の選任過程はそれと同じことを地方自治体レベルでやればいいのです。すなわち地方自治体の首長が提示した候補者を、さらに地方自治体の議会で定員にまで絞り込むのです。そうすればたとえ首長に対して変な人物が推薦されて首長がそれを鵜呑みにしてしまったとしても、議会の段階でその人物をふるい落とすことが出来ます。
弁護士会や人権団体などからの推薦規定は、あまりに露骨なので削除したほうがいいでしょうが、実質的には首長が自分の見識で人選できない場合も多いと思いますので、実質的には恣意的な推薦制度は機能すると思います。だからそれに対する安全装置として議会での最終選考を制度化すればいいのだと思います。
ただ、国会議員も地方議員も利権に絡めとられ国家観も希薄で、国民のほうを向いた政治家が不足している昨今においては、こういうアイデアは所詮は机上の空論なのかもしれません。
ならば、出来れば一般庶民の人権感覚を有した人物が人権擁護委員になることが望ましいので、そうした一般人でも人権擁護委員が務まるように、人権擁護委員の労働量の制限規定を設けて、普通の社会人でも務めることが出来るレベルに制限するという手段もあります。そうしなければ割の合わない仕事になるので、一般人はやりたがらず、自然に人権運動家風の人物ばかりになってしまうからです。
もし一般人でも充分に務まる仕事にすることが出来れば、首長による任命制はやめて、裁判員制度のように選挙人名簿から人権擁護委員をランダムに選ぶようにしてもいいのですが、さすがにそこまで割のいい仕事にすぐにすることは難しいと思います。
また、このようにしてランダムに選任したとしても、それが現代日本の社会風土においてちゃんと機能するかどうか未知数です。裁判員制度だってちゃんと機能するかどうか未知数なのです。あるいは形骸化し、実質的には行政府内に作られた怪しげななんとか委員会とかに牛耳られる恐れもあります。
そう考えると、やはりこの問題点については、先記の3つの問題点を完璧に解消することによって実害を極力少なくしていくのが現実的選択ということになるのでしょう。

同様に「人権委員や人権擁護委員の資格や協力団体に偏りがあり公平性に欠ける」という問題点も、先記の3つの問題点が重大であるために、特に重大な問題として扱われることになるのです。逆に先記の3つの問題点が解消すれば、この問題点の大部分は同時に解消するのです。
しかし、これもまた前項と同じですが、この項目の問題点における偏向や不公平性があまりに露骨なので、やはりこれも是正する努力は幾らかはしておかなくてはいけないでしょう。
まず、人権委員に就任する資格における弁護士などの職業規定は削除しておくべきでしょう。また、ジェンダーバランス規定も不要です。差別・人権侵害問題に精通した人材起用を義務化するような規定も削除しておいたほうがいいでしょう。職務が職務なのですから、自然にそういう人物が選ばれる可能性は高いのでしょうし、職業や性別を指定する規定こそ逆に差別的なのではないでしょうか。みっともないから止めたほうがいいでしょう。
上記のように議会で一旦審判を受けるということにするならば、民意によって選ばれた議員の良識を信じて、出来るだけ自由な状態での判断を信じ、余計な規定はあまり入れないほうがいいということになるでしょう。
人権擁護委員についても同様に、弁護士や人権団体構成員などという余計な指定をする規定は削除すべきでしょう。
また、人権擁護委員の活動に、特定の団体との密な連絡や協力を規定するのは止めたほうがいいでしょう。これはあまりに露骨すぎます。この規定があれば、人権擁護委員をいくらオープンな存在にしても、全て骨抜きにされてしまいます。

次に「人権擁護委員に国籍条項が無く、国益を損なう恐れがある」という問題点もまた上記と同じように、上位にある最初の3つの問題点が解消し、そしてまたその下の2つの問題点も解消すれば、原則的には解消する問題点です。
つまり、先記5つの問題点が解消すれば、国籍条項は無くても実質的に大きな問題は生じないのだといえます。だから、そうなれば原則として国籍条項は無くても構わないということになります。
しかし、絶対に国籍条項が存在してはいけないということでもないので、これはもう、好きにすればいいでしょう。
但し、それはあくまで法理的な原則論、一般論であって、実際には外国人といっても色々なタイプがあるわけで、日本人の人権問題を扱う資格の無い外国人というものも例外的に存在します。それは日本人の持つ人権感覚よりも相当低いレベルの人権感覚しか有していない外国人です。
それは現代日本において実際に問題となり得る具体的例として言えば朝鮮半島とシナの人達ということになります。何故なら、彼らの母国は人権抑圧国家だからです。そういう人権感覚の人達に日本における人権事案を扱ってほしくないのです。
これは差別意識ではありません。人権を尊重すればするほど、人権を疎かにする彼らに違和感を感じるのであり、彼らに人権問題を任せるべきではないと感じるのです。つまり、彼らを人権擁護委員から排除するという心理は、人権意識の高さの証拠なのです。
そういうわけで、「人権侵害指定国」というものを定めるという規定を設けて、それによって、自国において政府の手によって重大な人権侵害事案が組織的に行われている国や、日本人の人権に重大な侵害をしている国、極端な専制政治体制によって国民の自由を虐げている国などを「人権侵害指定国」に指定できるようにし、「人権侵害指定国」に指定された国の国籍を有する者は、日本において人権擁護委員には就任できないという規定も設けるべきだと思います。
こういう規定を設けておけば、国籍条項は設けずに、それでいて重大に国益を損なう可能性も無くなります。
そしてまた、この規定を設けることによって、日本が主体的に周辺国に対して人権状況の改善を働きかける根拠とすることも出来るのであり、人権意識において優位に立つきっかけともなり、今までのような卑屈さから脱することにも繋がるのです。

次に「メディア規制条項があるため、報道の自由を損なう可能性がある」という問題点も上位の6つの諸問題点が解消すれば、さして問題ともならない問題点です。
メディア規制自体は「言論表現の自由、国民の知る権利を守るため」という目的に適うものであれば、むしろ必要なものでしょう。何故なら、しばしば日本の報道機関は身勝手な言論統制によって国民の正当な「知る権利」を侵害する存在だからです。また、確かに報道被害に対する救済措置は必要でしょう。
ただ、このような問題の多い法案によってメディア規制が行われることが問題なのであって、メディア規制は上記のように「言論表現の自由及び国民の知る権利を守るため」と「報道被害から国民を守るため」という二本立ての目的をもった全く別の立法措置を講じるべきでしょう。
スポンサーサイト
人気blogランキングへ 応援のクリック 宜しくお願い致します。

この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿












管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック




上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。