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国民覚醒の兆候 第三部 鳥取激闘編 第1話    短期決戦
さて、12/28の鳥取人権条例に関する懇話会の結果を受けて、どうも私が12/21に出したばかりの新方針を変更しなくてはいけなくなりました。
何故なら、12/21の方針は12/18の人権条例反対集会終了直後の状況を受けてのもので、12/28の懇話会によって、その前提となる状況自体が変化したからです。
すなわち、12/21の方針は、2月県議会で人権条例が修正される可能性は高いが、人権条例が停止されたり廃止されたりする可能性はまだそれほど高くないという状況を想定して、6月以降も持久戦を戦っていくことに主眼を置いたものだったのであり、12/28の懇話会によって、その予想はもう過去のものになりつつあったからです。

12/28夜のyosimasa氏の懇話会レポートを見て、「これはどうやら2月県議会で決着をつけられる可能性も出てきたのでは?」と思い、そうであれば短期決戦モードに切り替えて攻勢に転じていくべきなのではないかと考えたのです。もしそうしなければ、このせっかくのチャンスを逃してしまうかもしれないと思ったのです。
つまり、とりあえずは持てる力を全部、2月県議会に集約していくということであり、その後のことはとりあえず横に置いておくということだった。人員的にゆとりがあれば、両方に人員を分けることも可能だったのですが、クリスマスあたりから軌道に乗ったとはいえ、それでもそれはまだ必要最低限に達したというレベルでしたから、2正面作戦をやる余裕はまだまだ無かったのです。
短期決戦モードにするならば、12/21に提案した、直接請求署名の受任者募集はいったん横に置いておいて、2月議会冒頭に提出する陳情署名に全精力を集中すべきでしょう。
いや、それだけではなく、とにかく2月県議会に対する他の働きかけも強めていかなくてはいけません。
何はともあれ、まずは、ビラを作り直さなければいけません。12/18集会以降に使用している県内用のビラには、裏面のトップ項目に「受任者募集」がきているので、これを作り直して、「2月県議会で条例を廃止させるために陳情署名を集めています」っていうのをトップ項目にしなければいけません。
しかし、そうなると、今使ってるほうのビラは1万部刷ったばかりだったので、大量に余ることになります。ただでさえビラ配りの日が減る予定になってましたから、消費しきれません。そこでまた新聞折込してしまおうということになり、五千部を折り込むことにしました。
その五千部を何時折り込むかというのをyosimasa氏に相談したところ、おそらく次に人権条例が新聞で大きく取り扱われるのは1/7の懇話会の翌日1/8の朝刊であろうから、その日に新聞折込したら相乗効果があるだろうとのことだったので、そうすることにしました。
こういうことを決めて、2005年は暮れていったのであり、新方針については正月休みの間に構想することにしました。

こうした2006年を迎えて、まず1/4に片山知事の年頭記者会見があり、そこで知事は年末の懇話会に関連して「修正案を出すこともある」と言及しました。これでますます2月県議会が焦点となってくることは決定的となりました。
こうした動きを確認してから、私は1/6に新方針を発表しました。

まず、直接請求署名はとりあえず横に置いておいて、2月県議会冒頭に陳情署名を提出することを目標に、今後は陳情署名集めに全力投球することにしました。
2月県議会冒頭ということは、具体的には2/24ということになります。この日に陳情署名を提出するのです。
12/24、12/25の鳥取駅前での署名集めの勢いを見て、今なら街頭や一軒一軒の訪問などで相当数の署名が集められるのではないかと判断しました。
また、2月県議会へ向けて、県会議員への凸も強化し、同時に全国からの支援としては国会議員を動かして、国会でこの条例を採り上げさせたり、自民党中央から圧力をかけてもらって条例廃止を働きかけるなどするようにしました。
だいたい柱はこれら「陳情署名」と「抗議凸」の二本柱で、2月県議会で必ずこの条例は重要議題となるという確信のもと、こういう計画を立てました。
とにかく、2月県議会が2/24?3/24でしたから、「3月で勝負をつけよう」が合言葉でした。
もし2月県議会で条例を廃止あるいは停止に追い込めなければ、4月から今度は直接請求署名へ向けた、受任者募集などの動きを開始して、7月から直接請求署名を集めればいいのです。

この二本柱については、相当確信したものがあり、その方針は揺らぐことは無かったが、その他の細部については、まだ心に決めかねている部分がありました。そのあたりについては1/7の第二回懇話会を自分の目で見てから決めていこうと思っていました。
細部とはどういう部分かというと、例えば集会については、せっかく12/18の経験でミニ集会のノウハウを得たのですから、出来れば今後ミニ集会を定例行事化していきたいという想いがあり、2/5、3/4に一応、50人規模の会議室は押さえていたのです。
ただ、このミニ集会というのは、地道に仲間を増やしていくためのもので、どちらかというと持久戦モードのアイテムであって、このように決戦モードに切り替えるのなら、本来は後回しにすべきものなのです。
ただ、それでもこれをなかなか捨てられなかった理由は、「署名集め」と「抗議凸」だけではどうしても地味で、12月までの祭り期間のように全国からの支援を得られないと予想していたからです。
まだまだ鳥取での活動の基盤は弱かったので、全国からの支援が無いと鳥取での活動は維持できないのです。支援とは具体的には「カンパ」と「抗議」だったのですが、このうち「カンパ」はまぁいいのです。街宣車や新聞折込などで大盤振る舞いさえしなければ、それほど多額のカンパは必要ないのですから。まぁ大盤振る舞いすればその分返ってくるという考え方もあるのですが。
しかし問題はむしろ「抗議」のほうで、実際、県庁や県議会に抗議の電話やFAXをしている人の大半は県外の有志であったのですから、鳥取の現地の動きが地味になって全国から忘れ去られてしまえば、あっという間に県庁や県議会に対する貴重な圧力が消滅してしまい、推進派が圧倒的に有利な状況になってしまうのです。
だから、せめてミニ集会でも無ければ、あまりにも華が無いというか、地味になってしまうと思って、それでミニ集会を捨てきれなかったのです。
しかし、これは本来ミニ集会に対して期待すべき要素ではないのです。ミニ集会自体は元来は地味なものなのですから、ミニ集会に華を求めるのはいかんせん無理のある話なのです。つまりミニ集会は「御輿」にはなれないのです。

そこで、ミニではなく、もっと本格的な集会をしようかとも検討しました。もし2月県議会で条例が廃止や停止にならなかった場合に、抗議の大集会を4/1に開こうかと構想しました。県民文化会館の500人収容の小ホールは一応押さえていたのです。
しかし、これは万が一の備えという意味合いが強く、実際にはこの集会は開かれないほうが望ましいという意味で、そもそもあまり盛り上がるようなものではなかったのです。だから、これも「御輿」にはなり得ないものだったのです。
むしろ、この4/1集会は、「もし2月県議会で条例を最低でも停止しなければ反対集会をしてやるぞ」という脅しとして使おうと思っていました。もしそういう展開になった時に、条例に反対のマスコミがきっと肯定的に扱ってうれるはずだという計算はありましたし、同様の計算を議員もするでしょうから、我々がこういう集会を予定しているということ自体が議員にとってはプレッシャーになり、それによって2月県議会での議論に影響を与えることが出来るという、そういう計算をしていたのです。

このように、ミニ集会も4/1集会も「御輿」とはちょっと意味合いが違ったのです。だいたい、もともと12月までの祭りの御輿は街宣車でした。ならばまた街宣車を走らせればいいのですが、なかなかそうはいかない事情もあったのです。
やはり街宣車を走らせたことによって現地組の疲弊はすごかったんです。その疲れもまだ完全には癒えていなかった時期ですから、とてもとても街宣車復活など言い出せる状況ではなかったのです。
だいたい街宣車プロジェクトがなんとか維持できたのはスケルトンさんの存在があってのことであることは現地組はみんな分かっていました。そのスケルトンさんはもういないわけで、あんな奇特な人も他にそうそういないであろうから、どうしても二の足を踏んでしまうわけです。
そして、これは皮肉なことなのですが、12月までの街宣車プロジェクトが上手くいったために、県内の空気が一変して、明らかに条例を巡る状況が好転していたために、逆に今、街宣車を走らせたとしても、11月や12月ほどに危機感によって盛り上がるかどうか、私にもあまり確信が持てなかったのです。
この時点でカンパ収支は、ほぼプラスマイナスゼロでした。もちろんそれとは別にあさがおさんの50万円がありましたから、また街宣車を仕立てる原資はあったのですが、今回はその原資を回収できるかどうか、この時点では確信は持てなかったのです。

これらの理由によって街宣車復活はこの時点では考慮の外だったのです。ただ、何らかの御輿になるものは欲しいということで、街宣車を使っての停止街宣演説の代用品として、トラメガを使った街宣演説をすることにしました。これならあまり経費はかからないのでお金の心配はしなくていいですし、平日の運転手なども確保しなくていいのです。
週末の街頭ビラ配りの時に、今までと同じように1時間を使ってトラメガで街頭演説して、それをネットラジオで生中継したり、ビデオカメラで収録して後でスレで公開すれば、少なくともネット上では街宣車を走らせていた時とあまり変わらない効果が期待できるのではないかと考えたのです。
このトラメガ街宣を週に1回か、2週に1回のペースでやっていけば、とりあえず何とかなるのではないかという計画でした。

どうも11月や12月のイケイケドンドンの頃と比べると、どうしても地味になってきているという印象があると思われるでしょうが、まぁ実際、あのような積極策によって状況が好転した反面、現地組の疲弊は本当に大変なもので、私はもともと法案潰しのために鳥取現地組を利用しているという負い目が心の片隅に常にありましたから、どうしても現地組の疲弊を見ると遠慮がちになってしまうのです。
このように、この1/6時点では、「陳情署名」と「抗議凸」という二本柱は確固としたものはあったのですが、細部においてはまだ曖昧な部分を残していたのです。まぁ12月まで突っ走りすぎていましたし、状況変化も急でありましたし、やむを得ないことでもありました。
特に状況把握については、私は12/25以来、2週間近く、鳥取には行っていませんでしたし、その間の状況変化が急だったのであり、やはりそれを生で感じていなかった分、どうしても曖昧になってしまったといえます。
また、現地も含めて鳥取スレに表れる全国の有志の状況も、12/25の街宣終了以降、ちょっとした冬休み状態にあり、いまひとつ盛り上がっておらず、今後の展開も予想できなかったので、私としてもどうしても不安であったのです。
そういう意味では、翌1/7に鳥取へ行って第二回懇話会を傍聴したのは大きな意味があったと思います。これによって鳥取スレも盛り上がり、また、私の心も完全に定まることになったのですから。
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