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国民覚醒の兆候 第三部 鳥取激闘編 第7話    千葉県障害者差別禁止条例
鳥取で第二次街宣活動開始にGOサインが出された2/4には、千葉で障害者差別禁止条例に反対する集会が開かれました。
主催したのは平田氏で、小さな会場で数十人の参加者に対して平田氏が条例の問題点について説明しただけという、ちょうど私が考えていたような規模のミニ集会の見本のような集会でした。
千葉の障害者差別禁止条例は、鳥取人権条例のような包括法とは違って個別法的な体裁をとっています。一見、鳥取の懇話会で提言された「個別的な対応」の具現化したもののようにも見えます。懇話会で鳥取条例を徹底批判していた大田原弁護士も、この千葉条例には賛成しています。
この条例は前年11月ぐらいから表面化してきて、1/14にはこれに関連したシンポジウムが日弁連会館で開かれて、そこで千葉県の堂本知事が講演し、だいたいどんな条例案なのか判明しました。日弁連はこの千葉条例に関しては支持団体なのです。

この千葉障害者差別禁止条例の問題点は、まず障害者の定義の曖昧さにあります。この条例における「障害者」とは、私たちが従来考えていたような「医学的概念」ではなく、「社会的概念」のようなのです。簡単に言えば「社会において自己実現できていない人はみんな障害者」みたいな解釈も可能なのです。
こうなると、この条例で「障害者差別」として禁止されてしまうものの中には、外国人差別、部落差別、女性差別などなど、なんでも含まれてしまいます。一見、個別法のような体裁にしていますけど、実際には包括法として機能するのです。
何故こんな馬鹿げたことになってしまうのかというと、この条例の目指すものが、「機会平等」ではなく「結果平等」であるからです。「障害」を安易に「社会的概念」としてしまったために、基準が全く無くなり「とにかく自分は社会的に不自由を蒙っている」という結果への不満を自己申告すればなんでも障害認定され得るようになってしまっているのです。「機会が均等であるかどうか」よりも「被害が申告されたこと」のほうが重視されてしまい、「言ったもの勝ち」状態になるのです。
大田原弁護士は「鳥取と違って差別事例をちゃんと事前に集めているのが評価できる」と言っていますが、それは単に鳥取が稚拙であっただけで、千葉ではせっかく事例を集めても、出来た条例案がこんな実質的に包括法になってしまっているのならば、こちらのほうがより巧妙かつ悪質ではないでしょうか。

もちろん、判定する立場の人間がしっかりした見識があればそんな酷いことにもならないのかもしれないが、そんな人任せでは法治主義とはいえず、人治主義に堕してしまっているのではないでしょうか。だいたい人治主義の場合は、声の大きい者、権力のある者が勝つようになっており、弱者は切り捨てられることになります。
だいたい、この判定し執行するのが差別解消委員会というのですが、この委員には国籍条項もなく、政治的中立性の保障もなく、再任の制限もない。このような機関が大きな権限を持つのは非常に危険です。

で、その権限ですが、大田原弁護士は「罰則が無い点で鳥取条例とは異なる」と権限が過度に強大でないと評価していますが、この条例案では「障害者に合理的配慮を行わないことも差別」と見なされ、「合理的配慮義務」が定められています。
「義務」ということは、これは選択の余地なく絶対に行わなければならないのであって、「合理的配慮」は行政による強制ということになります。これは一種の罰則ではないでしょうか。しかも、この判断は裁判を経て下されるのではなく、差別解消委員会の一方的判断で下されるのです。
大田原弁護士はおそらく「過料が課されていない」という点をもって「罰則が無い」と解釈されているのだと思います。法律論的にはそれでいいのでしょうけど、この差別解消委員会による調査を拒否すれば氏名の公表などもあるのであって、そういう点は鳥取条例と変わりありません。これも十分に罰則的意味合いがあると思うのですが。
しかも、この千葉条例の場合、差別者と見なされた者は公開の場で被害者あるいはその代理人の意見を聞くという義務もありますが、これは公開リンチや糾弾会のような場になってしまうのではないでしょうか。これなら過料を払うほうがマシかもしれません。
さらに、被害者が民事訴訟を起こす場合に県があらゆる訴訟援助を行うということにもなっており、これでは裁判の公平も何もないわけで、差別解消委員会に目をつけられればかなり高い確率で民事訴訟で敗訴して莫大な損害賠償を支払うことになります。これでは鳥取のように5万円の過料を払うほうがまだマシかもしれません。
この訴訟援助は実質的な罰則ではないでしょうか。罰則とは一種の脅し、抑止力であって、それがあるから相手は執行機関に従順になるものです。この訴訟援助は実質的にそういう効果を発揮するのではないでしょうか。それならば、これは民事法廷に汚れ仕事を表面的に巧妙に押し付けた形での、実質的な罰則なのではないでしょうか。

この条例は結局、曖昧な「障害者」の定義によって、外国人や同和地区住人でも言いがかりをつけて他人を公開リンチにかけたり、訴訟をちらつかせて言いなりにさせたり社会的に抹殺することの出来る、危険極まりない条例案なのです。
実質的には鳥取人権条例によって引き起こされると危惧されるのと同じような事態が引き起こされるのであって、例えば小郡の男女共同参画条例のような「複合差別」という概念を使った場合と並んで、これもまた人権擁護法案成立のための新たな迂回ルートなのではないかと危惧されるのです。
「複合差別」とは、一人の人間、一つの事例に対して同時に何種類かの差別が生じている場合、その解消のためには複数の差別を同時に解消しなければいけないというような考え方ですが、考え方としてはそういうのもあるのかもしれませんが、実際にこれを法律に適用すれば、結局は包括法による曖昧な差別定義という問題に直面するのであって、人権擁護法案と同じ弊害が生ずるのです。
これを例えば小郡の男女共同参画条例案のように、個別法で適用すれば、個別法に偽装して包括法を制定しようとする姑息な迂回ルートであると見なされ得るのです。
この千葉県障害者差別禁止条例は、人権擁護法案や鳥取人権条例に匹敵するような危険極まりない条例案であり、そして人権擁護法案の巧妙な迂回ルートとして準備されたものなのであることは、この後のこの条例案の辿った異様な経過を眺めれば見えてくると思います。

すなわち、まず2/4の平田氏による反対集会の翌日、自民党千葉県連がこの条例案に対して反対を表明し、その後、断続的に協議を重ねて、2/28に千葉県議会が開会した時には自民党全県会議員の条例に関するアンケート結果を県議会に提出し、そして3/7には最終的に、自民党千葉県連としてこの条例案を継続審議とするように求めることを決定したのです。
これはつまり事実上の廃案要求ということで、千葉においては自民党は県連を挙げてこの条例案に反対したんですね。そういう点では鳥取よりはよほどマシだったといえるでしょう。自民党も、地方によってはまだまだ捨てたものではないのです。
もちろん、この経過において、全国から人権法案反対派国民からの激励の凸が千葉県連にたくさん寄せられたことは言うまでもありませんが。
千葉県議会においては自民党は過半数を占めていたので、これで勝負はついて、3/20に千葉県議会において、この条例案は継続審議が決定し、この議会での条例成立は回避されたのです。ここで条例反対派の勝利で幕は閉じるはずでした。
ところが、4月に入ってから、千葉7区における衆院補選における自民公明の選挙協力の交換条件として、公明党がこの条例案を自民党千葉県連が賛成するように要求してきたのです。そして、それに自民党中央本部の武部幹事長をはじめ執行部が応じて、千葉県連に対して圧力をかけてきたのです。

この後の顛末は後で触れるとして、この構図は昨年4/24の福岡2区の補選での公明党の選挙協力と引き換えに4/21の法務部会で古賀氏による人権擁護法案の強引な一任取り付けがあり、それを執行部が追認して反対派を抑えにかかった事件と同じなのです。もちろんその背後には創価学会、すなわち在日白丁勢力の意思が働いているのです。
特にこの千葉の場合は、国政選挙である衆院補選での選挙協力によって地方政治上の決定である自民党千葉県連の方針を捻じ曲げようとしており、これは前年の福岡の場合よりもさらに悪質なゴリ押しだといえるでしょう。
ここまでして公明党が必死で推進する以上、この障害者差別禁止条例は人権擁護法案成立の布石として重要な意味を持っているのだと考えて差し支えないでしょう。
そういう意味では鳥取人権条例と同じく、やはりこれも人権擁護法案成立の迂回ルートなのだといえます。
いや、あるいは鳥取人権条例よりも厄介なのかもしれません。これは鳥取における12/28や1/7の懇話会で指摘された鳥取人権条例、そして人権擁護法案の欠陥を巧妙に補正して、一見危険が無いように偽装されているからです。
これからはこのように、障害者差別禁止や、男女共同参画などの個別法に見せかけた手法で巧妙に包括法的な目的を達成しようとする企みが全国各地で展開される可能性が高いといえます。
もともと昨年4月の時点から「個別法で対応を」という法案反対のレトリックは使われていたわけで、このレトリックによってこそ、昨年は法案を阻止することが出来たのです。そこで推進派としてはそのレトリックの通用しない新手法を考えてきたというわけでしょう。
人権擁護法案にしても、昨年あそこまで徹底論破されて、また同じ形で出てくるということはないでしょう。あるいはこの個別法偽装の新しい手法を使った改造版の人権擁護法案そのものが提出されてくる可能性もあります。
我々としても、更なる敵の新手法にも対応して、それに反駁するレトリックを研究して身につけていく必要があるといえるでしょう。
鳥取から話が横道に逸れましたが、こうしたものが出てきた背景には、法案や鳥取での推進派の挫折があるのであり、そして今後の鳥取での議論や、法案の動向にも関係する話なので、あえてここで少し深追いすることにしました。

さて、少し話が先に進み過ぎました。2006年2月初旬の鳥取に戻りましょう。
鳥取では、2/4に街宣車の再投入を正式決定したのですが、その翌日、推進派の巻き返しが始まったのです。これによって、鳥取では反対派と推進派の戦いのボルテージはますます上昇していったのでした。
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